双頭の鷲
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ヨーロッパの国家や、東ローマ帝国において使用され今日に至る。
東ローマ帝国においての「双頭」は東洋と西洋の両方にローマ皇帝の支配を意味する。その後ロシア帝国においても、東ローマ帝国の後継を自負し「西(ヨーロッパ)」と「東(アジア)」に渡る統治権を象徴するためにこの紋章を採用した。
現在では東ローマの紋章として伝えられているが、実はこの紋章が帝国の紋章となったのは末期のパレオロゴス王朝時代、つまり実際には東西の支配権を失っていった時代である。また、一説には元々はパレオロゴス家の家紋として使われていたものだとも言われている(ただし、古代以来鷲がローマ皇帝の象徴であったことは確かである)。
ドイツの行進曲「双頭の鷲の旗の下に」(英:Under the Double Eagle/独:Unter dem Doppeladler)はハプスブルク家オーストリア・ハンガリー帝国を謳ったものとして有名。
[編集] 種類
国家として紋章として採用したのは以下の国がある。
- 王家であるハプスブルク家の家紋でもある。
この他、東ローマ帝国の教会の伝統を受け継ぐコンスタンティノポリス総主教庁なども双頭の鷲を紋章としている。
[編集] 起源
「双頭の鷲」は古来より存在する紋章で、トルコでは紀元前6000年の前のものが発見されている。