北条時氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
北条 時氏(ほうじょう ときうじ、建仁3年(1203年) - 寛喜2年6月18日(1230年7月29日))は、鎌倉時代の武将。六波羅探題北方。父は3代執権の北条泰時で嫡子、母は三浦義村の娘。妻は安達景盛の娘の松下禅尼。子に北条経時、北条時頼、北条時定ほか。
1221年の承久の乱では、父・泰時とともに従軍する。1224年、乱を契機に新たに設置された六波羅探題北方に任じられて京都に赴任。28年には若狭国の守護となり、4代執権に推されていたが、1230年3月には病のため鎌倉へ戻り、6月に死去、父泰時に先立ってなくなっている。享年28。法名:月輪寺禅阿
[編集] 官職位階履歴
※日付=旧暦