前田利久
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前田 利久(まえだ としひさ、? - 天正15年8月14日(1587年9月16日)?)は戦国時代の武将。荒子城主。前田利春の長男。前田慶次郎の養父でもある。妻は滝川益氏の妹。
前田利家の長兄で、1560年に父が没したため前田家を継ぐが、1569年、織田信長の命により家督を利家に譲った。その後は剃髪して蔵人入道と呼ばれ、1583年からは利家に仕えていた。利家が不在の時には金沢城代を代任するなどした。1587年に没する(1583年没という説もある)。
前田 利久(まえだ としひさ、宝暦12年3月16日(1762年4月10日) - 天明7年8月7日(1787年9月18日))は江戸時代の大名。越中国富山藩主。前田利幸の長男。官位は従四位下、長門守。幼名、又三郎。
1777年、叔父の前田利與から家督を譲られて富山藩主に就任。しかし10年後の1787年、26歳で夭折。その跡は甥の前田利謙が継いだ。