兀庵普寧
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兀庵普寧(ごったんふねい、慶元3年(1197年) - 景炎元年(1276年))は、鎌倉時代中期に南宋から渡来した臨済宗の僧。諱は普寧。字は兀庵。諡号は宗覚禅師。
無準師範(ぶじゅんしはん)に師事。1260年(文応元年)蘭渓道隆・円爾弁円の招きにより来日し、博多の聖福寺に入った。鎌倉幕府執権北条時頼の要請により鎌倉建長寺2世となる。建長寺の本尊は地蔵菩薩であるが、兀庵は地蔵菩薩は自分より下位であるとして礼拝しなかったという。時頼は兀庵に師事して参禅・問法を重ね印可を受けた。1263年(弘長3年)時頼か亡くなると支持者を失い、1265年(文永2年)に帰国してしまった。