信玄堤
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信玄堤(しんげんつつみ)は、山梨県甲斐市(旧竜王町)にある堤防である。霞堤(かすみてい)。戦国時代に甲斐の守護、戦国大名である武田信玄(晴信)により築かれたとされる。「信玄堤」と呼ばれる堤防は県内各地にも存在する。
甲斐は土地の大半が山岳地帯であり、国力増強のためには新田開発が必要であり、また大雨による洪水などによる被害も発生していた。信玄が国主となった翌天文11年には大規模な洪水が起こっており、信玄ははじめ植林などを行っていたが、釜無川と御勅使川の合流地点である高岩(竜王鼻)に堤防を築いて治水を行った。工事は20年以上に渡り、永禄3年(1560年)の印判状では堤防管理のため棟別役を免除される代わり川除への集団移住が促されており、一応の完成をみたと考えられている。江戸時代にかけて堤防は延長された。
武田氏の土木技術は甲州流とも言われ、信玄堤による治水の成功により各地で応用された。
[編集] 関連項目
- 農業土木