佐野浩敏
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佐野 浩敏(さの ひろとし)は、日本のアニメーター。田川浩のペンネームを用いて小説のイラストを描いたことがある。
1982年、テレビアニメ『魔境伝説アクロバンチ』でデビュー。 初期の参加作品が当時人気のアニメーター金田伊功の影響を多大に受けていたアニメ制作会社カナメプロダクション関連だった事が作画スタイルに影響を及ぼしている。
後に佐野本人が師と仰ぐアニメーター出身の漫画家安彦良和から、メカ作画監督としてオファーを受け、 アニメ映画『ヴイナス戦記』で仕事をする機会を得る。佐野の弁によると、安彦の前作『アリオン』には力量不足を自覚し参加を断念したため、念願の仕事だったという。
また奇しくもこの直後『機動戦士ガンダム』と『機動戦士Ζガンダム』との架け橋的作品『機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY』に携わる。この作品製作時に前2作品に携わった安彦良和を意識せざるを得ない事になるが、この事がクオリティーの高い作りへと結びつき、佐野が一般に認知される事になる。ちなみに、「安彦さんの描くガンダムがガンダム。他には全然魅力を感じないです」と語ったこともある(『機動戦士ガンダム ハチゼロ/ハチサン/ゼロハチ』(太田出版)に収録されたインタビューより)。
この2つの作品に携わった事が佐野自身のターニングポイントとなったと言える。
巷では〝ロボ描き屋 佐野〟で通る程メカアクションに定評がある。 その腕前が評価され、雑誌・DVDジャケットなどの印刷物媒体では参加作品以外であっても、佐野浩敏のイラストを見る事が出来る。
[編集] 主な作品
- 1982年 さすがの猿飛(原画)
- 1983年 プラレス3四郎(原画)
- 1984年 北斗の拳(原画)
- 1984年 バース(原画)
- 1985年 ダーティペア(原画)
- 1985年 戦え!!イクサー1(原画)
- 1985年 超獣機神ダンクーガ(オープニング原画)
- 1985年 機動戦士Ζガンダム(原画)
- 1986年 機動戦士ガンダムΖΖ(原画)
- 1987年 機甲戦記ドラグナー(原画)
- 1987年 大魔獣激闘 鋼の鬼(作画監督)
- 1989年 機動警察パトレイバー(作画監督、原画)
- 1989年 MIDNIGHT EYE ゴクウII(メカニックデザイン、メカ作画監督)
- 1989年 バブルガムクライシス6
- 1989年 ウルトラマンUSA(メカ作画監督)
- 1991年 機動戦士ガンダムF91(作監協力)
- 1991年 機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY(総メカニカル作画監督・小説版の挿絵も担当)
- 1992年 宇宙の騎士テッカマンブレード(キャラクテーデザイン原案協力)
- 1993年 機動戦士Vガンダム(メカニカルデザイン協力)
- 1993年 ジャイアントロボ THE ANIMATION -地球が静止する日(第3話、キーアニメーター)
- 1994年 宇宙の騎士テッカマンブレードII(メインキャラクターデザイン)
- 1994年 機動武闘伝Gガンダム(メカニックディレクター、作画監督、OPアニメーション、原画)
- 1994年 とっても!ラッキーマン(原画)
- 1995年 獣戦士ガルキーバ(メカ作画監督、原画)
- 1995年 SMガールズ セイバーマリオネットR(原画)
- 1996年 天空のエスカフローネ(メカニカルディレクター、メカ作画監督、原画)
- 1998年 カウボーイビバップ(メカ作画監督)
- 1998年 時空転抄ナスカ(キャラクターデザイン)
- 2000年 エスカフローネ(メカ作画監督)
- 2000年 アルジェントソーマ(メカニックサポート)
- 2002年 ラーゼフォン(アニメーションディレクター)
- 2003年 ラーゼフォン 多元変奏曲(アニメーションディレクター)