佐久間安長
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佐久間 安長(さくま やすなが、慶長16年(1611年) - 寛永9年4月12日(1632年5月30日))は、信濃国飯山藩の第2代藩主。初代藩主・佐久間安政の次男。正室は井上正就の娘。官位は従五位下。日向守。
次男であったが、長兄の佐久間勝宗が早世していたため、1627年の父・安政死後の翌1628年に家督を継いで藩主となる。土井利勝に属して江戸城の石垣普請などで功を挙げた。また、寺社勢力との関係の親密化にも務めている。1632年4月12日に22歳の若さで死去し、後を子の佐久間安次が継いだ。法号:蓮雲宗光多福院。墓所:東京都港区高輪の泉岳寺。稗所である滋賀県高島市の幡岳寺には位牌も現存する。