伏見博英
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伏見博英(ふしみひろひで、1912年(大正元年)10月4日-1943年(昭和18年)8月21日)は、日本の伏見宮家(皇族)出身の伯爵(華族)である。皇族時代は伏見宮博英王という。
伏見宮博恭王の第4王子。長兄は伏見宮博義王(昭和13年10月19日薨去)、次兄は華頂宮博忠王(大正13年3月24日薨去)、3兄は華頂家を継いだ華頂博信侯爵(大正15年12月7日臣籍降下)。姉には、浅野長武侯爵に嫁した恭子女王、伏見宮系の清棲幸保伯爵に嫁した敦子女王、久邇宮朝融王に嫁した知子女王がいる。
海軍兵学校(第62期)に進み、海軍に勤務する。昭和11年4月1日に臣籍降下し、昭和天皇より伏見の家名を賜り、伯爵に叙せられる。第三連合通信隊司令部に属していたが、昭和18年8月21日、セレベス島付近上空で乗機が撃墜され戦死し、海軍少佐に特進する。