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伊東 祐吉(いとう すけよし、生年不詳 - 天文4年(1536年))は日向伊東氏九代当主。伊東尹祐の三男。六郎十郎。
天文2年(1533年)、伊東武蔵守が反乱を起こすと、兄の伊東義祐(当時は祐清)と行動を共にし、武州の乱を鎮圧した。よほど人望があったものか、長倉能登守を始めとする重臣層によって義祐を差しおいて次期当主に擁立され、まもなく九代を相続。宮崎城を居城とする。
伊東氏の内紛に乗じて侵攻した県土持氏撃退などの功績があったが、わずか3年で病没した。