ノート:代理母出産
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一般人の疑問
代理出産の是非を専門的観点からだけでなく、ノーマルな通常人の観点から論ずる必要がある。 代理出産は、自らの血縁関係のある子供が欲しいとの、欲求を満たす為のものである事。 代理出産を望む人達は、何故、血縁の在る子供が欲しいのか? その明確な理由を、述べていない。 自分の子供が欲しいから、では、唯のエゴでしかない。 欲しくても経済的理由から子供を作れない人、結婚出来ない人、等が年々増加してきているが、代理結婚とか、代理生活経済を認めろ、とは言わない。 代理出産は一部の恵まれた社会、経済状況等に在る人達、だけの特権となっている現実があるも、忘れてはならない。 一部の先進国(特にアメリカ)のある一定以上の生活レベルにある人の欲望を満たす手段として、利用されている。(フランス等は禁止している) 世界中には、親の無い子供たち、劣悪な環境にいる子供たち、望まれず堕胎や捨て子で殺されている子供たちが、どれ位いるのだろうか? 何故、他人の子供では、ダメなのか? 他人の子供達は、死亡しても構わないのだろうか? 感情論ではなく、何故、血縁関係が無いと良くないのか? それが、世界人類の為になるとか? 格差や貧困を解消するとか? 先進国や途上国の公平も為とか? 明確な世界のためとか、人類為とか理由を述べて欲しい。 ダダの思い込みや、自分さえ良ければ良いと言うわけではないはずである。 欲しいから、手段を選ばず手に入れるでは、まさに弱肉強食である、恵まれた状況にあるものだけが、恩恵を受ける不公平な社会を増長する事になる。 今も地球上では多くの胎児や子供達が、人間の欲望のための犠牲となっている。 この世界で、2秒に一人ぐらいのペースで、貧困のため死亡していると言われているが、先進国の一部の恵まれた者の欲望を満たすものに過ぎない。 子供が出来る事も幸せだが、子供が出来ない事も幸せである。 子供がいる為出来ない事も出来るし、2人の時間も多く持てるし、世界中の子供達の為に自分の子供の分も支援できる幸せがある。 自分の子供が出来ないのは、幸せな事である事を認識して欲しい。
上記の内容に関して: 「子どもを持たないことが幸福」というのは、あまりに乱暴な意見では? 代理出産の是非に関しては、生命倫理とか代理母の身体を危険にさらす懸念、何より今の日本の法律が生殖医療の発達に追いついていないという現状から、早急に答えは出ないし、出すべきでない。 血のつながった子どもを欲しいと願うのが唯のエゴだというならば、子どもを虐待死させる親はもっとひどいのではないか。