京極高栄
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京極 高栄(きょうごく たかよし(たかしげ))は、但馬豊岡藩の第3代藩主。
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時代 | 江戸時代中期 | |||
生誕 | 元禄3年7月23日(1690年8月27日) | |||
死没 | 享保6年6月13日(1721年7月7日) | |||
別名 | 修理(幼名)、高継(初名) | |||
戒名 | 源照院殿通岸道達大居士 | |||
墓所 | 東京都文京区向丘の瑞泰寺 | |||
官位 | 従五位下、加賀守 | |||
藩 | 但馬豊岡藩主 | |||
氏族 | 京極氏 | |||
父母 | 父:京極高住、母:難波氏(寿林院) | |||
兄弟 | 高栄、高正、善興 | |||
妻 | 正室:水野忠之の娘 継室:松平定重の娘 側室:中村氏 |
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子 | 京極高寛、京極高永 |
元禄3年(1690年)7月23日、第2代藩主・京極高住の長男として江戸向柳原邸で生まれる。宝永元年(1704年)に世子に指名される。初名は高継であったが、正徳3年(1713年)に将軍・徳川家継の「継」を避けるために高栄と改名した。正徳4年(1714年)7月29日に父が隠居したため、家督を継いで藩主となり、従五位下、加賀守に叙任する。
弟の京極善興(重次)に2000俵を分与し、小普請組京極三右衛門家を創設した。享保6年(1721年)6月13日、麹町邸で急死した。享年32。
後を長男の高寛が継いだ。