九鬼久隆
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
九鬼 久隆(くき ひさたか、元和3年(1617年) - 慶安2年1月23日(1649年3月6日))は、摂津国三田藩の初代藩主。父は九鬼守隆(久隆は五男)。祖父は織田信長に仕えた水軍の将で有名な九鬼嘉隆。母は朝倉可愛の娘。正室は本多氏の娘。官位は従五位下。大和守。
生年は1617年、もしくは1618年と言われている。長兄の九鬼良隆が病弱だったため廃嫡された後、久隆は良隆の養嗣子となる。そして1632年に父が死去すると、家督を継ぐこととなった。しかし兄の九鬼隆季がこの相続に不満を持って対立、騒動を引き起こしたため、幕府からその責任を問われて久隆は志摩国鳥羽藩から摂津三田藩3万6000石に減移封、隆季は丹波国綾部藩2万石に移され、ここに嘉隆以来の水軍力を九鬼氏は失ってしまったのである。
その後は高槻藩の守衛などを務めた。1649年正月23日に死去し、後を長男の九鬼隆昌が継いだ。法号:青陽宗源春光院。墓所:兵庫県三田市西山町の心月院。
九鬼氏の摂津への移封は、幕府の危険そうな大名を騒動に乗じて移封するという、勢力削減政策であったと言われている。