上杉房能
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上杉房能(うえすぎ ふさよし、? - 永正4年8月7日(1507年9月13日))は戦国時代の守護大名。山内上杉氏の一族である越後上杉氏の出身。九郎。民部大輔。 越後国守護。父は上杉房定。養子に定実。実兄に関東管領上杉顕定など。
長兄の定昌は早世し、次兄の顕定が山内上杉氏本家の養子となって関東管領となったため、1494年に病没した父の跡をついで越後の守護となる。守護代の長尾能景の補佐を受けるが、越後上杉氏の戦国大名化を目指し在地領主の特権の制約を図ったために能景らと対立する。それでもなお守護代としては忠実であった能景が1506年、越中において一向一揆のために戦死すると、能景の子で跡を継いだ長尾為景は房能の養子の定実を擁し房能に公然と反旗を翻す。1507年、為景に拠点を急襲され、顕定を頼り関東へ逃亡中に自刃。