三遊亭小圓朝
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三遊亭 小圓朝(さんゆうてい こえんちょう)は落語の名跡。当代は4代目。
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[編集] 初代
本名は倉片省吾。「3代目橘家圓蔵」を経て「初代小圓朝」、その後「2代目圓楽」を経て「三遊一朝」を名乗った。
芝居噺・怪談噺の大家である八代目・林家正蔵(林家彦六)や、素噺の達人と評された五代目・古今亭今輔を事実上の後継者とする。
[編集] 2代目
本名は芳村忠次郎(1856年-1923年(大正12年))。「初代三遊亭金馬」、「2代目圓馬」を経て「二代目小圓朝」襲名。初代圓馬、圓朝を師とする。
3代目小圓朝の実父である。
[編集] 3代目
本名は芳村幸太郎(1892年(明治25年)-1973年(昭和48年)7月11日)。父は2代目小圓朝だったが、入門先は4代目橘家圓喬。「長松」、「小圓治」を経て真打昇進時に「2代目圓之助」を襲名し、後に4代目円橘、3代目小圓朝を襲名する。一時期は「船勇亭志ん橋」を名乗るがその後小圓朝に戻している。
地味であるがしっかりした江戸前の芸の持ち主で「しわい屋」「権助提灯」「あくび指南」「三味線栗毛」など持ちネタが多い。他の大看板の影に隠れ勝ちで、寄席の出番も浅く不当に評価された嫌いはあった。一方、若手や大学の落語研究会の稽古台として後継者を育てた。 1967(昭和42)年7月、脳出血で倒れ高座に上がらぬまま没した。名人と呼ばれた橘家圓喬の名跡を預かるほどの腕を持ちながら、晩年は不遇であった。
朝之助(故人)、3代目圓之助(故人)、6代目(当代)円橘の師匠。
[編集] 4代目
本名は高橋秀帆(1969年(昭和44年)6月16日-)、東京都豊島区出身、3代目圓之助の子息。
一度は柳家小三治門下で破門を受け落語界から退くが、亡き父の弟弟子である当代圓橘に再入門を許される。二つ目の間、父と同じ圓之助(4代目)を名乗っていたが、真打昇進時に父の師であった「小圓朝」を襲名する。
圓橘門下一番弟子。
[編集] 経歴
- 1992年 -6月 10代目小三治に入門。前座名「さんぽ」。
- 1994年 -6月 退門。
- 1996年 -1月 6代目圓橘に再入門、前座名「橘つき」。
- 1997年 -10月 二ツ目昇進、「4代目圓之助」襲名。
- 2005年 -5月 真打昇進、「4代目小圓朝」襲名。
[編集] 関連項目
- 三遊亭圓橘(6代目)
- 三遊亭圓之助
- 三遊亭きつつき
- 三遊亭橘也
- 円楽一門会