ヴュルテンベルク王国
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- ヴュルテンベルク王国
- Königreich Württemberg
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(国旗) (紋章) - 国歌 : Preisend mit viel schönen Reden
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首都 シュトゥットガルト 君主号 王(König) 君主家 ヴュルテンベルク家 面積 19,508 km² 人口 2,300,000人 (1905年) 人口密度 132 成立 ヴュルテンベルク選帝侯の王位獲得(1806年) 消滅 ドイツ革命による君主制廃止(1918年、以後ヴュルテンベルク州へ)
バーデン州と合併してバーデン=ヴュルテンベルク州へ(1952年)連邦参議院での投票権数 4 ナンバープレート III A,C,D,E,H,K,M,P,S,T,X,Y,Z
ヴュルテンベルク王国(Königreich Württemberg)は、ドイツ南部にかつて存在した王国。神聖ローマ帝国南部の有力領邦であったヴュルテンベルクはナポレオン戦争最中の1803年に選帝侯となり、1806年に帝国が解体すると王国へと昇格した。以後ドイツ連邦・南ドイツ連邦への加盟を経て1871年にドイツ帝国の構成国となり、1918年のドイツ革命まで存続した。
[編集] 歴代君主一覧
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