ロビンソン・チェコ
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ロビンソン・チェコ(Robinson Perez Checo、1971年9月9日 - )は、ドミニカ共和国出身の元プロ野球選手(投手)。
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[編集] 来歴・人物
広島東洋カープドミニカアカデミーから1992年に来日。しかし外国人選手枠の関係で練習生扱い、1994年は台湾のプロ野球、時報イーグルスでプレーした。1995年に広島と正式に選手登録を交わし、初登板で初完封初勝利を飾って鮮烈デビューを果たし、15勝を挙げるが、同年のシーズンオフに契約問題がこじれて訴訟にまで発展。結局1年間プレーすることで球団と合意する。1996年5月18日の阪神戦ではあと1人のところでノーヒットノーランを逃す。
1997年にボストン・レッドソックスに移籍、その後ロサンゼルス・ドジャースへ移籍したが、メジャーリーグでは成績を残せず2000年に引退した。
[編集] エピソード
- 広島球団初、また球界初のドミニカ選手として大きな話題を呼んだ。日本人にはいない体型で、ユニフォームが似合い、また首元からシルバーをチラチラさせる独自の色気のある選手で、オーバーアクションの躍動感溢れるピッチングに、当時心をときめかせた女性ファンも多かった。
- チェコが日本で成功したオフにドミニカに帰った時、「ドミニカ選抜チーム」に名を連ねて、国民の前で御披露目試合を行い、その試合の先発としてマウンドに立った。まわりは当時アメリカのメジャーで活躍していた錚々たるドミニカのスター選手達で、チェコも日本で成功したということで、マウンドに立たせてもらったのだろうが、チェコの紹介の時は観客がザワザワしたそうである。つまり国民はチェコのことをまったく知らなかった。ドミニカの人達にとって野球で成功するということは、アメリカのメジャーで成功するということであり、日本のプロ野球は、ただの一行の記事も載らないそうである。これがお金を払って慰留しようが、ドミニカの選手が、裁判になろうともアメリカに行きたがる理由である。
- 1995年に広島と正式に選手登録を交わした時の背番号は「106」(同時期にカープに入団した選手も同様に3桁の背番号)。3桁の背番号だった事も話題になった。現在でもそうなのだが、当時、3桁の背番号は打撃投手かブルペン捕手が着用する背番号だったからである。2006年現在、3桁の背番号は打撃投手、ブルペン捕手、育成選手が着用しており、育成選手を除いた現役選手には着用されていない。
[編集] 略歴
- 血液型 A型
- 投打 右投げ右打ち
- 球歴 エンゼルス→広島東洋カープドミニカアカデミー→台湾、時報イーグルス→広島→レッドソックス→タイガース→ドジャース
- プロ入り年度 1995年・(広島東洋カープ)
- 守備位置 投手
[編集] 経歴・タイトル
[編集] 年度別成績
- 日本
年度 | チーム | 背番号 | 試合 | 完投 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | 投球回 | 安打 | 四球 | 三振 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1995 | 広島 | 106 | 28 | 10 | 15 | 8 | 0 | 193.2 | 143 | 98 | 166 | 2.74 |
1996 | 広島 | 50 | 9 | 3 | 4 | 1 | 0 | 50.2 | 52 | 24 | 36 | 4.80 |
通算 | 37 | 13 | 19 | 9 | 0 | 244.1 | 195 | 122 | 202 | 3.17 |
- 米国
年度 | チーム | 背番号 | 試合 | 完投 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | 投球回 | 安打 | 四球 | 三振 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1997 | BOS | 5 | 0 | 1 | 1 | 0 | 13.1 | 12 | 3 | 14 | 3.38 | |
1998 | BOS | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | 7.2 | 11 | 5 | 5 | 9.39 | |
1999 | LAD | 9 | 0 | 2 | 2 | 0 | 15.2 | 24 | 13 | 11 | 10.34 | |
通算 | 16 | 0 | 3 | 5 | 0 | 36.2 | 47 | 21 | 30 | 7.61 |