リュシアン・ボナパルト
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リュシアン・ボナパルト(Lucien Bonaparte, 1775年5月21日 - 1850年7月29日)は、フランスの政治家。ナポレオン1世の弟。カニノ公。ブリュメールのクーデターの功労者。
[編集] 生涯
1775年、コルシカ島で生まれ、1792年にフランスに移住後、ジャコバン派に加入した。その後登場した総裁政府では五百人会議の議長になった。ナポレオンがエジプト遠征から1779年10月9日に帰国すると、協力してクーデターの準備を進めた。11月10日、計画通りに軍隊を引き連れたナポレオンが五百人会議の議場に現れ、議員たちを説得しようとしたが、予想外の抵抗を受け、退出する羽目になった。この時、議場の外に出たリュシアンが、待機していた軍隊の前で「共和国の軍隊を破壊しつつあるピットの手先を議場から一掃せよ」と巧みな演説をして兵士たちを議場に突入させた。議員たちは抵抗したものの、たちまち追い出されて、ブリュメールのクーデターは成功した。
こうしてナポレオンが第一統領になると内務大臣になった。しかし、この頃から兄弟仲が悪くなり、すぐに辞めさせられた。1800年には駐マドリード大使になったが、すぐに衝突し、政略結婚を断って別の女性と結婚。イタリア、イギリスと住所を変え、アメリカへ向かう途中にイギリス船に捕らわれた。1814年にローマに移り、母から連絡を受けて帰国、翌1815年に始まった百日天下の間、再びナポレオンに協力する。フランスが降伏するとイタリアに行き、その地で1850年に没した。
リュシアンは、すでに17歳の時、23歳になる兄ナポレオンを評して、「ナポレオンは、専制君主たる素質があり、王位に就けば独裁者になる」とその本質を見抜いていたと言う。
[編集] 関連作品
- 藤本ひとみ著『皇帝ナポレオン』(歴史小説)