モクテスマ2世
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モクテスマ2世(Moctezuma II, 1466年 - 1520年7月1日)はアステカ帝国の王(トラトアニ)(在位1502年 - 1520年)。正式な名は、モテクソマ・ショコヨトル。
1519年、それは人身御供を嫌悪する神ケツァルコアトルが東方から帰還する年であった。数年前から火柱が天空に現れ、神殿が燃え上がり、鏡のような目を持つ鳥が捕らえられたりした。不吉な前兆がアステカ人の終末思想を覆っていた。
そのころ、スペイン人コンキスタドールエルナン・コルテスは、11隻の帆船に乗った500人の部下と16頭の馬を引き連れてアステカ帝国の東海岸にたどり着いた。情報は直ぐにテノチティトランのモクテスマ2世にもたらされ、王はコルテスを白い神ケツァルコアトルと信じて丁重に出迎えて言った。「あなた様に国をお返しします。」人血が塗られたトルティーヤ(トウモロコシのパン)を差し出しながら...
コルテスが人間の生贄を禁止したため、終末を迎えてしまうと焦燥にかられてアステカ人は蜂起した。その結果、モクテスマ2世はスペイン人の人質とされた。1520年7月1日、民衆をなだめようと宮殿のバルコニーに出たモクテスマ2世は人々に糾弾されて殺されたとされるが、スペイン人征服者によって殺害されたとの説もある。
[編集] 関連項目
- クアウテモック
- イサベル・モクテスマ