メッセンジャー (競走馬)
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ジョージ・スタブによる肖像 |
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性別 | 牡 |
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毛色 | 芦毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1780年 |
死没 | 1808年1月28日 |
父 | マンブリノ |
母 | ターフメア |
生産 | ジョン・プラット 又はグロブナー卿 |
生国 | イギリス |
馬主 | グロブナー卿 |
調教師 | - |
競走成績 | 14戦8戦(諸説あり) |
獲得賞金 | - |
メッセンジャー(Messenger、1780年 - 1808年)は、イギリスの競走馬である。後アメリカ合衆国に渡り、スタンダードブレッドの重要な基礎種牡馬となった。その名は今もスタンダードブレッドによって行われるぺース競走(繋駕速歩競走の1種)の大レースメッセンジャーステークスとして残っている。
[編集] 生涯
現役時代は3-5歳の間にイギリスのニューマーケットで走り、14戦8戦の戦績を残している。その後、1788年5月にトーマス・ベンジャーによってアメリカ合衆国に輸入された。18世紀以降、数多くのサラブレッドがアメリカに輸出されるのだが、メッセンジャーはその中でも比較的早くアメリカに渡った1頭であった。同時期に第1回エプソムダービー馬ダイオメドもアメリカの土を踏んでいる。
アメリカに渡った初めての年はペンシルベニア州のフィラデルフィアで供用されている。そして1793年にはヘンリー・アスターに売却され、さらに1796年、コーネリアスW.ヴァン・ランストに売却された。
メッセンジャーはアメリカで種牡馬として成功し、1806年にはマンブリノIIを輩出した。このマンブリノIIはスタンダードブレッドの根幹種牡馬であるハンブルトニアン10の父の父である。この他スタンダードブレッドの成立過程においてはメッセンジャーが大きくかかわっており、ハンブルトニアン10にもメッセンジャーのかなり強いインブリードが含まれている。マンブリノII以外にも多くの産駒を残しており、スタンダードブレッドの他、アメリカ乗用馬やテネシー乗用馬など多くの馬種の礎となった。サラブレッドの父としてはそれほど成功したわけではないが、最初期のアメリカ名馬アメリカンエクリプスの母の父となっているように、現在への影響も皆無ではない。
そして1808年にニューヨーク州で死亡し埋葬された。このころにはメッセンジャーの種牡馬としての名声は大きくなっており、死亡したときには大砲が撃たれ弔われたという。
[編集] 血統表
メッセンジャーの血統 (フライングチルダーズ系)/Cade3×4=18.75% Godolphin Arabian4×4.5=15.62%) | |||
父
Mambrino 1768 芦毛 |
Engineer 1756 鹿毛 |
Sampson | Blaze |
Hip Mare | |||
Y.Greyhound Mare | Y.Greyhound | ||
Curwen Bay Bard Mare | |||
Cade Mare 1751 芦毛 |
Cade | Godolphin Arabian | |
Roxana | |||
Little John Mare | Little John | ||
Favourite | |||
母
Turf Mare 1774 黒鹿毛 |
Turf 1760 鹿毛 |
Matchem | Cade |
Partner Mare | |||
Starling Mare | Starling | ||
Romp | |||
Regulus Mare 1761 鹿毛 |
Regulus | Godolphin Arabian | |
Grey Robinson | |||
Starling Mare | Bolton Starling | ||
Fox Mare F-No.1 |
カテゴリ: サラブレッド | イギリス生産の競走馬 | イギリス調教の競走馬 | 1780年生 | 1808年没