マグサイサイ賞
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マグサイサイ賞は正式名称をラモン・マグサイサイ賞(Ramon Magsaysay Award)といい、フィリピン大統領ラモン・マグサイサイを記念して創設された賞である。毎年アジア地域で社会貢献などに傑出した功績を果たした個人や団体に対し、マニラ市のラモン・マグサイサイ賞財団により贈られ、「アジアのノーベル賞」とも呼ばれる。
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[編集] 部門
現在この賞には以下の6部門がある。
- 政府 (Government Service)
- 社会奉仕 (Public Service)
- 社会指導 (Community Leadership)
- 報道・文学・創造的情報伝達 (Journalism, Literature and Creative Communication arts)
- 平和・国際理解 (Peace and International Understanding)
- 新興指導者 (Emergent Leadership)
[編集] 歴史
この賞は、1957年3月17日にフィリピンのラモン・マグサイサイ大統領が航空機事故で死去したのを受け、1957年4月、ニューヨークのロックフェラー兄弟財団(RBF)の出資で発足した。これに協力していたフィリピン政府は、ラモン・マグサイサイ大統領の政治における清廉潔白さ、国民への勇気ある奉仕、民主主義社会でのプラグマティックな理想主義といった不朽の功績を称え、賞の創設にあたり彼の名を記念することとした。1957年5月、戦前のフィリピン・コモンウェルス(独立準備政府)大統領経験者や、マグサイサイ氏の父ら7人の高名なフィリピン人が、賞の授与を実施するための非営利組織「ラモン・マグサイサイ賞財団(RMAF)」の創設理事会に名を連ね、翌1958年RMAFが発足し最初の授与式が行われた。
RMAFは、1959年にはフィリピン議会より、ロックフェラー兄弟財団からの出資額に相当する土地の寄付や免税の特権を受け、1968年にはロックフェラー兄弟財団からの更なる援助により、財団が入居するラモン・マグサイサイ・センターが建設された。またフィリピン国内外の個人や企業の寄付により、アジアに関する図書館の運営、アジアの諸問題に関するシンポジウム開催などさまざまな活動を行っている。現在の理事会は各界から選ばれた9人のフィリピン市民が4年交代で勤め、そこで任命された理事長が常勤で財団の運営を行っている。
RMAFは人種・信条・性別・国籍を問わず、それぞれの分野で傑出した業績を達成したり、世間の賞賛を期待せず寛大に人々を助けたりした個人や組織を表彰し賞を授与している。授与式は毎年8月31日(マグサイサイ大統領の誕生日)に開催され、受賞者にはメダルと賞金が授与される。当初、賞は政府部門、社会奉仕部門、社会指導部門、報道・文学・創造的情報伝達部門、平和・国際理解部門の5部門からなっていたが、2000年のマグサイサイ賞授与式典で、財団は6番目の部門となる新興指導者部門をフォード財団の支援で創設した。この賞は「それぞれの地域社会で、社会の変化による問題に取り組んで多大な業績をあげたが、その指導力が地域社会の外ではまだあまり知られていない40歳以下の個人」に対して贈られ、2001年に最初の授与が行われた。
[編集] 受賞者
1958年の第1回以来現在まで、マザー・テレサ、ダライ・ラマ14世をはじめアジア全域から200以上の個人や10を越す団体が賞を受けている。(w:List of Magsaysay awardeesを参照)また、受賞者の中には多くの日本人もいる。
[編集] 主な日本人受賞者
- 1964年三木行治(岡山県知事、地方振興)
- 1965年黒澤明
- 1968年東畑精一
- 1971年大来佐武郎
- 1973年石牟礼道子(『苦海浄土-わが水俣病』)
- 1974年市川房枝
- 1974年黒木博(宮崎県知事、農業と観光の振興)
- 1976年若月俊一(佐久総合病院院長、日本の集団検診のさきがけ)
- 1980年松本重治
- 1984年川喜多二郎
- 1988年福岡正信(自然農法の実践家)
- 1993年岩村昇(ネパールの無医村での医療活動や各国青年の農業支援)
- 1995年平松守彦(大分県知事、一村一品運動)
- 1997年緒方貞子
- 2001年平山郁夫(中国や中央アジアなどでの文化財保護や相互理解活動)
- 2003年中村哲(NGO「ペシャワール会」現地代表)
- 2003年遠山正瑛(鳥取大学、中国・内モンゴル自治区での緑化活動)