ボパール化学工場事故
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ボーパール化学工場事故(-かがくこうじょうじこ)は1984年に発生した世界最悪の化学工場事故である。インドのマディヤ・プラデーシュ州ボーパール (भोपाल) で操業していたユニオンカーバイト社の化学工場から約4トンのイソシアン酸メチル (MIC) が流出し有毒ガスが工場周辺の町に流れ出した。
事故は12月3日の深夜に発生した。有毒ガスにより、3000人以上が死亡し15–60万人が被害を受けた。事故の後、少なくとも1万5千人が有毒ガスにより死亡した。
現在もなお工場から漏れ出した化学物質による周辺住民への健康被害が続いている。また、工場を管理していたユニオンカーバイト社への訴訟や責任問題が未解決である。
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[編集] 事故の要因
ユニオンカーバイトの工場は1969年に創業を開始し、1979年にカルバリルの生産を拡大した。MIC はカルバリル製造の反応中間体である。
事故は MIC 貯蔵タンクへの水の混入が原因である。結果として、タンク内部で化学反応がおこり大量の有毒ガスが発生した。タンク内の圧力を緊急排出したが、ガス洗浄装置が修理のために停止していたことで有毒ガスが漏れ続けた。調査によりいくつかの安全手順が回避されていたことが判明している(タンクに漏れている水を防ぐバッフルプレートの設置は省略されていた。また、タンクの冷却および流出したガスを焼却できたフレアタワーが停止していた)。そして、設備を他の工場と統一しなかったインド従業員の活動規範。こうした安全基準はユニオンカーバイトが当時関連していたインドの工場で「コスト削減計画」の妨げになるとして意図的に省略されていたとされている。最近浮上した文書は、ユニオンカーバイトがインドの工場へ「無認可のテクノロジー」をしばしば輸出していたことを明らかにしている。工場が操業した時、地元の医師はガスの性質を知らされていなかった。また、災害時の基本的な対処法(湿った布で口を覆うような)は考えられていなかった。
ユニオンカーバイトはこれらの証言や主張を一切認めていない。そして、事故はひとりの従業員が検査用の通気孔を通して故意に水をホースで流し込んだものと結論した調査報告をした。ただし、この調査に専門家のチェックはされていない。ユニオンカーバイトは事故によりこうした方法で水が混入することを見つけることができなかったと主張している。そして、安全システムはこのような破壊活動に対処できるようにはなっていなかった。ユニオンカーバイトはボパール工場のスタッフは事件の責任を逃れるために多数の記録を偽造したそして、おそらくそれらはユニオンカーバイトに対する怠慢を申し立てを弱めるもので、インド政府は調査を妨害し、責任のある従業員の起訴を取りやめたと言っている。ユニオンカーバイトは公的に破壊工作をした従業員の指名はしていない。
[編集] ユニオンカーバイトに対する調査と訴訟
1989年に示談による和解が得られ、ユニオンカーバイドはボーパールの事故によって生じた被害に対し4億7千万米ドルを支払うことに同意した(当初の訴訟では30億ドルが請求されていた)。この和解が報じられると、ユニオンカーバイド社の株価は1株あたり2ドル(株価の 7%)下がった。ボパール事故で支払われた賠償金は、石綿症の被害者(ユニオンカーバイド社は1963年から1985年にかけて石綿の採掘を行っていた)に対してアメリカ合衆国の法廷が同社を含む被告に支払いを命じた額と同率であり、1984年に出した死傷者に対する同社の債務額は100億ドルを超えた。2003年10月の終わりに、ボーパールガス事故被災者救援復興局 (Bhopal Gas Tragedy Relief and Rehabilitation Department) によって 554,895 人の被害者と 15,310 人の遺族に対して賠償金が支払われた。遺族一家についての平均額は2千2百ドルであった。
当時のユニオンカーバイド社の最高経営責任者であったウォーレン・アンダーソン(1986年に辞任)はこの大規模な殺人事件の主犯とされていたが、法廷での審理に出席しなかったため、ボーパール最高裁判長によって1992年2月1日に逃亡犯として宣告された。犯罪人引渡し条約を締結しているアメリカに対し、インド政府は引き渡しを求める通知を送ったが、この要求が受理されることはなかった。多くの活動家が、インド政府は自由化のあとにインド経済で重要な役割を担っている外国人投資者からの報復を恐れ、アメリカに対して激しい要求を行うことをためらっている、と非難した。事件解決の失敗について無関心を装うアメリカ政府の態度は、過去においても特にグリーンピースから強い非難を浴びている。犯人が逃亡したため、インド中央投資局による本事件における過失を理由とする請求額引き下げの嘆願はインド法廷によって却下された。アンダーソンは現在でも逃亡者としてインド法廷に手配されており、仮に判決が10年以下の禁固であったとしても賠償金を支払う義務を負っている。
一方、ユニオンカーバイド社との和解によって政府が受け取った賠償金のうちの一部しか遺族には渡らなかったため、地元の人々は同社と責任者のアンダーソンのみならず、インド政府からも裏切られたと感じている。本事件の記念日にはアンダーソンと政治家たちの肖像が焼かれる。2004年4月、インド最高裁判所は政府に対し、賠償金として受け取った残り3億3千万ドルを被害者と遺族に支払うよう命じた。
ユニオンカーバイドはボーパール工場を運営していたインド支社を、1994年にインドのバッテリー工場に売却した。2001年にはダウ・ケミカル社が103億ドルの負債を抱えたユニオンカーバイド社を買収した。ダウ・ケミカル社は、ユニオンカーバイド社の和解による支払いは既に履行されており自社に責任はない、と何度か公式に発表した。しかしながら、遺族によって、ダウ・ケミカル社に対し重度に汚染された土地を清浄化させるための訴訟がアメリカの地方裁判所で行われている。
ダウ・ケミカル社とその子会社となったユニオンカーバイドアメリカ社がインド法廷の判決に従うことを拒否したため、賠償金の支払い要求先は、現在はユニオンカーバイドインド社のもと従業員、すなわち元社長・現マヒンドラ ケーシャブ・マヘーンドラ、現社長付き経営取締役 ヴィジャイ・ゴーカレー、元社長兼職務主幹 キショール・カームダール、元工場長 J・ムクンド、元AP部門製造部長 S・P・チョウドリーに移っている。
[編集] 汚染の現状
政府が主導する意思を持たなかったため、何トンもの毒性廃棄物が手付かずのまま放置されている工場の清浄化は行き詰った。環境問題研究家たちは、この廃棄物は市の中心部の汚染源となる可能性があり、生じる汚染は何十年にも渡ってゆっくりと広がり、神経系、肝臓、腎臓に障害を与えるおそれがある、と警告している。調査により、事故以来がんなどへの罹患率が高まっていることが示されている。活動家たちはダウ社に汚染物質の除去を求め、インド政府に対し同社からより多くの資金を供与させる命令を出すように要求している。
BBCは2004年11月14日の放送で、事故現場はいまだ数千トンの有毒物質 — 容器が開けっ放しのまま放置され、あるいは地面に流れ出したヘキサクロロベンゼンや水銀などで汚染されているという調査結果を報じた。いくつかの区域は汚染があまりにも激しく、10分以上留まると意識を失うおそれがあった。降雨によってそれらの流出が起こり、付近一帯の井戸を汚染した。BBCに代わりイギリスから派遣された水質分析者によるボーリング試験によって、汚染濃度はインドの基準値の最大500倍であることが明らかにされた。付近の居住者と、同程度の経済状態の他の地域とを比較する統計調査が行われ、工場近辺では様々な疾患の度合いが高いことを明らかにする結果が報じられた。
[編集] 外部リンク
[編集] 参考資料
- ドミニク・ラピエール、ハビエル・モロ 『ボーパール午前零時五分(上・下)』 長谷泰訳、河出書房新社、2002年 ISBN 4-309-20366-3, ISBN 4-309-20367-1