ノート:ボストン茶会事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
インディアンの扮装をし「ボストン港をティー・ポットにする」と叫びながら、342箱の茶箱を海に投げ捨てた。のが事実であるならば、ボストンティーパーティーは嫌味の意味での「茶会」なのではないでしょうか?誤訳と断ずるのはどうかと思われます。
[編集] 誤訳か否か
そもそも誤訳かどうかはこの項目では重要性が低いと思えます。 現状で追加された外部リンクも必要なものでしょうか?
- 両説が存在するので参考になればと加えたものです。私見ながら、仮に重要性が高くないにしても不必要とまでは言えないと存じます。なお、このリンク先の文章は充分に考察されており説得力も高いと感じました。半ば“常識”のように巷間に流布している誤訳説ですが、更に一考を要すると考えさせられましたので。死郎 2006年3月22日 (水) 13:25 (UTC)
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- 確かに誤訳という主張はネットで検索すると大量に出てくるようですので「説」とは言えないまでも、両論併記はあってもいいかも知れません。しかし、追加された外部リンクは「ボストン茶会事件」の外部リンクとして本当に必要なのでしょうか?また、リンク先としても適切なものなのでしょうか?wikipediaはあくまで百科事典です。リンク先のページは風説の収集という目的のためとは言え、出典不明の説を引用し検討しています。その意味で百科事典という主旨から外れるような気がします。外部リンクの必要性について、もう少しお考え戴ければと存じます。(ponpon 2006年3月23日 (木) 01:44 (UTC))
- いやしかし。他の項目を見れば、もっとどうでもいいような外部リンクも存在します。もちろんそれが良いとは思いませんし是正されるべきでしょうけれど、この項目にのみ、そこまで厳密であれというのは如何なものでしょうか。況してや、これはやはり個人的見解ではありますが、当該リンクが百科事典的に全く排除されるべき内容とも思えません――ただ、このリンク先に特にこだわるつもりもありませんので、他に妥当な論を載せたものがあれば置換や追加をしてゆくことに異論ありません。その際、総体として賛成・反対どちらの立場にも偏らないほうが望ましいとは存じますが。死郎 2006年3月24日 (金) 08:58 (UTC)
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- 確かに現状の外部リンクは張られていると問題があるという性質のものではないと思いますので、この外部リンクの有無についての私見は放棄します。ただ、訳出について「賛成・反対どちらの立場にも偏らないほうが望ましい」という意見には賛成しかねます。茶会事件のネーミングについて異論を持つ人はいるのかも知れませんが、少なくとも「誤訳」ではないと思います。「茶党と翻訳をする人もいる」という事実の紹介としての両論併記ならばともかく、誤訳云々と記事に記すのは私は疑問に思えます。とりあえず、この記事については私は死郎さんと見解を異にしているので、私が現状の記事を修正するのは控えますが、「誤訳」という表現について、ご一考して戴ければ幸いです。(ponpon 2006年3月25日 (土) 05:32 (UTC))
- 僕自身も、今の時点ではどちらかと言えば「誤訳ではない」という主張を支持しますが、実際に「誤訳である」という説が巷間多く述べられているのは事実ですし、現在のこの記事の記述だけではそれを否定しきれないと感じています。それゆえの両論併記と申し上げているわけで、むしろ現状の「~と呼称する風潮もある」のような一方を矮小化する表記さえも客観性・公正さを欠いている(ゆえに却って説得力を失っている)と感じます。ともあれ「誤訳」という表現は僕個人のものではありませんので、自分一人の判断で取り下げるほうが僭越かと存じます。そして、ここでこうして議論になるということ自体、少なくとも誤訳説が存在することを記述しておく必要性を充分に示していると思われるのですが、如何。死郎 2006年3月25日 (土) 07:49 (UTC)