ホール落語
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ホール落語(ほーるらくご)は、寄席や演芸場ではなく、劇場やホールで開催される落語、または落語会のこと。
[編集] 概要
明治以降の上方落語において、吉本興業が落語家と専属契約を結び、吉本興業経営の劇場以外の出演を禁じたため、結果として上方に存在した寄席の多くが衰退することとなった。
終戦後は上方落語自体が瀕死の状態にあった中、上方落語の復興に向けた活動がはじまる。定席が無くなった中、個人事務所を設立した桂米朝が、1971年にサンケイホールでの独演会「第1回桂米朝独演会」を開催。以降、独演会のほかにも2人会や3人会、一門会などを企画。全国各地で開催する機動力の軽さもあって、劇場での落語会の開催がその後の上方落語の新たな可能性を見出した。
一方で、1972年には当時の上方落語協会の会長笑福亭松鶴が中心となって島之内教会にて「島之内寄席」を開催。ホール寄席が定着する。