ブルハーヌッディーン・ラッバーニー
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ブルハーヌデッィーン・ラッバーニー(ダリー語:برهان الدين ربانى (Burhānuddīn Rabbānī), 1940年 - )は、アフガニスタンのイスラム主義系政治組織「イスラム協会」の最高指導者で、元大統領。ターリバーン政権時代の北部同盟の指導者。日本では、ブルハヌッディン・ラバニとかかれることもある。
学生時代からイスラム主義(イスラム原理主義)運動に参加し、1972年政治勢力「イスラム協会」を結成。1974年、反政府活動を理由に逮捕状がでたため、パキスタンに脱出。
1970年代末から本拠地をイランのメシュヘド市に置き、アフガニスタン人民民主党に対する闘争を開始。1980年7月から再びパキスタンを本拠地とする。1989年から1992年、ペシャワールの亡命政権の外務相。
1992年6月に社会主義政権の崩壊に伴い帰国、暫定指導評議会議長となり、1993年1月には大統領に就任した。
1996年9月、ターリバーンの首都攻撃でカブールを退避。1997年6月反ターリバーン勢力北部同盟の大統領に就任。2001年12月22日、ターリバーン政権崩壊及びアフガニスタン暫定行政機構の発足に伴い、暫定行政機構の議長に選出されたハーミド・カルザイに権限を移譲した。
[編集] パーソナル
1940年(1942年とも)、バダフシャン州ファイザーバード生まれで、民族的にはタジク人である。父はムハマッド・ユスフ師。
複数の妻を有し、2児がいる。
1961年、カブール大学シャリーア学部に入学。カブール大学卒業後、同大学でイスラム法の講師。カイロのアル=アフザル大学に留学。留学後、シャリーア学部の教授となる。1969年、トルコのアンカラ大学に3ヶ月間研修。