フィリピンの歴史
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フィリピンの歴史(フィリピンのれきし)では、フィリピンの歴史を述べる。前史、スペイン植民地時代(1565年~1898年)、米国植民地時代(1898年~1946年)、独立以後の時代(1946年~現在)に大別される。
目次 |
[編集] 前史
- 3世紀 扶南国の交易相手として巨延洲(フィリピン諸島)の記述がみられる。交易品目はイモ・シャコ貝。
- 14世紀後半 中国や東南アジア、アラブとの交易の時代。スールー諸島でイスラム教伝道が始まり、フィリピン各地に広まる。
[編集] スペイン植民地時代
- 1521年 マゼラン率いるスペイン船団、セブ島に到着し、キリスト教を伝える。マクタン島の戦いで首長のラプ・ラプがマゼランを討つ。
- 1543年 ルイ・ロペス・デ・ビリャロボス率いるスペイン船団、サマール島とレイテ島に到着、これら諸島をフェリペ皇太子(後のフェリペ2世)にちなみラス・イスラス・フェリピナス(Las Islas Felipinas)と命名。
- 1565年 ミゲル・ロペス・デ・レガスピの遠征隊、メキシコからセブ島に到着し占領、スペイン植民地確立。
- 1571年 レガスピ隊マニラ占領。
- 1603年 マニラで最初の華人反乱。
- 1762年 英軍マニラ占領(~64年)。
- 1809年 イギリス、マニラに商館設立。
- 1892年 ホセ・リサール、独立政治組織ラ・リガ・フィリピナ結成。鎮圧される
- 1896年 武闘派独立組織カティプナン結成。ホセ・リサール処刑される。
- 1898年 米西戦争勃発、米軍マニラ占領。エミリオ・アギナルド、フィリピン独立を宣言。
[編集] アメリカ植民地時代
- 1898年 パリ条約でスペイン、フィリピンを米国に売却。
- 1899年 フィリピン第一共和国(マロロス共和国)発足、大統領エミリオ・アギナルド。対米反乱(米比戦争)。
- 1901年 米軍、アギナルド逮捕。フィリピンはアメリカの主権の下におかれる。
- 1902年 フィリピン組織法。
- 1907年 第1回フィリピン議会開催。
- 1916年 米国議会ジョーンズ法を可決。
- 1934年 米国議会タイディングス・マクダフィー法で10年後のフィリピン独立を承認。
- 1935年 米自治領政府(独立準備政府、フィリピン・コモンウェルス)発足、大統領マニュエル・ケソン。
- 1942年 日本軍マニラ占領(1月)、コレヒドール島陥落(5月)。
- 1943年 フィリピン共和国(第二共和国)成立(10月)。大統領ラウレル、東京の大東亜会議出席(11月)。
- 1944年 レイテ沖海戦。米軍レイテ島へ上陸。
- 1945年 マニラ大虐殺(1月)。米軍マニラ占領、米自治領政府復活。
[編集] 独立以後
- 1946年 米国から独立(第三共和国)、大統領マニュエル・ロハス。
- 1948年 ロハス死去、エルピディオ・キリノが大統領に。
- 1953年 ラモン・マグサイサイ、大統領に当選。ABS(現在のABS-CBN)がテレビ本放送を開始。
- 1956年 日比賠償協定調印、日比国交回復。
- 1957年 マグサイサイ大統領事故死、後継カルロス・ガルシア。
- 1961年 ディオスダド・マカパガル、大統領に当選。独立記念日をそれまでの7月4日から6月12日に変更。
- 1965年 フェルディナンド・マルコス大統領に当選(~1986年迄)。
- 1966年 カラーテレビ本放送を開始。
- 1968年 フィリピン共産党(中国派)創設。
- 1969年 新人民軍発足。
- 1972年 戒厳令布告。政府がほとんどの機能を掌握。
- 1975年 マルコス訪中、国交樹立。
- 1976年 ソ連と国交樹立。モロ人民解放戦線と暫定和平協定。
- 1983年 ベニグノ・アキノ元上院議員、マニラ空港(現在のニノイ・アキノ国際空港)で暗殺される。
- 1986年 エドゥサ革命、コラソン・アキノ、大統領に就任。マルコス夫妻ハワイに亡命。
- 1989年 マルコス、ハワイで死去。軍反乱事件。
- 1990年 ルソン島北部の都市、バギオで大地震発生。多数の死傷者。
- 1991年 ピナトゥボ火山噴火。米軍基地撤廃を決議。
- 1992年 フィデル・ラモス、大統領に就任。米軍撤退完了。
- 1995年 各地の軍事反乱終息。
- 1996年 モロ人民解放戦線と和平協定。
- 1997年 ディオスダド・マカパガル氏死去。
- 1998年 ジョセフ・エストラーダ大統領就任。
- 2000年 下院、エストラーダ大統領を弾劾。
- 2001年 第二人民革命。副大統領アロヨ、大統領に就任。
- 2004年 グロリア・アロヨ、大統領選挙で当選。しかし、その後アロヨ氏は選挙票の不正を認め国民に謝罪。
- 2005年 スビク湾の婦女暴行事件。逮捕されたのは駐留アメリカ兵4人。付加価値税の引き上げ。
- 2006年 マニラ首都圏各地の市長が更迭寸前に追い込まれる事態が発生。