ファン・ランダエタ
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基本情報 | |
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本名 | ファン・ホゼ・ランダエタ |
あだ名 | ベイビー |
階級 | ミニマム級 |
国籍 | ベネズエラ |
誕生日 | 1978年10月7日 |
出身地 | カラカス、ベネズエラ |
命日 | |
死地 | |
スタイル | サウスポー |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 25 |
勝ち | 20 |
KO勝ち | 16 |
敗け | 4 |
引き分け | 1 |
無効試合 | 0 |
ファン・ランダエタ(Juan Jose Landaeta、1978年10月7日 - )は、ベネズエラ・カラカス出身のボクサー。身長165センチ(5フィート5インチ)、サウスポーのボクサーファイター。元WBA世界ミニマム級暫定王者。
2004年1月31日に新井田豊が引退し空位となったWBA世界ミニマム級の暫定王座をかけて元WBA世界ミニマム級王者チャナ・ポー・パオインと対戦し、これを12ラウンド判定で破り同王座獲得。
2004年10月30日に現役復帰した新井田豊とWBA世界ミニマム級王座統一戦を行い、1-2の判定で惜しくも敗れる。
2005年12月17日のアルベルト・ラモス戦の判定勝利を最後に引退を表明。
2006年5月突然の引退撤回と、ライトフライ級への転向表明。全く試合をしていないにも関わらず、ライトフライ級1位にランキングされ、同時に同級2位にランキングされた亀田興毅とWBA世界戦が発表される。
2006年8月2日にロベルト・バスケスがフライ級に階級を上げたことで返上したWBA世界ライトフライ級王座をかけて亀田興毅と対戦。1Rでダウンを奪い、その後も優勢に試合を進めるも、1-2で判定負けを喫した。ただしこの判定はほぼ全てのメディアで「疑惑の」「不可解な」「露骨な」と形容されるものであった。ベネズエラのエル・ウニベルサル紙も「日本人観客でさえ当惑する判定」と報じた。
放送したTBSへ3日15時までに電話での問い合わせが50,736件あった。スタッフでは応対しきれずそのほとんどに対して込み合っている旨の自動案内が流れたが、その多くが判定への抗議と見られる。
判定に関してはラウンドマスト方式の影響を指摘する声が多く、亀田選手はダウンを奪われてもその後コツコツと有効打を重ねることでポイントを逆転したとの分析がある。
この試合後のランダエタ選手は「亀田はいい点はないボクサー。私が思うに弱いボクサー。これからいろいろと学ばなければいけない。単なる子供だった」「判定内容に不満はあるが、WBAに抗議はしない。判定がおかしかったのは会場にいた皆さんが一番よく知っている」「亀田は私と再戦をしたくはないでしょうし」とコメント。微妙な判定と亀田選手の態度に苦言を呈した。
在日ベネズエラ大使館が現在ウェブサイトを持たないため、在ベネズエラ日本国大使館のメール送信フォームのリンクが2ちゃんねるやブログ等、各所に貼られることになった。判定では負けたが、その不可解な判定に納得できない多くの日本の視聴者から、ランダエタ選手の紳士的な態度、ファイティングスピリットを賞賛し、判定を謝罪する2,500通を超えるメールが在ベネズエラ日本国大使館を通じてランダエタ選手宛に寄せられた。 ランダエタ選手は帰国後に日本大使館からメールを受け取り、「もし、再度日本に行くチャンスがあれば、今度は日本の皆様の誠意にその試合を捧げたいと思います」とコメントした。[1]
- 亀田興毅との再戦への動き
試合ならびにベルトを管理するWBA(世界ボクシング機構)はこの試合の後、敗れたファン・ランダエタの世界ランキングを据え置きの1位とした。通常、直近の試合に敗れた選手はランキングが下がるものであるが、このランキングは単純に試合結果や担当ジャッジの判断だけで動くのではなく、試合内容やWBAによる試合の査定を元に判断する。WBAの規定では、新チャンピオンの初防衛戦がランキング1位の者と行う様に定められているので、事実上、WBAの裁量によって、亀田興毅とファン・ランダエタに対し再戦が命じられた事になる。 2006年8月22日、亀田所属の協栄ジム、金平桂一郎会長は、2006年10月中に再戦する予定であると発表した。だが、亀田が練習中に負傷した事により、同年12月20日に延期となった。
戦績
アマ:169戦153勝16敗
プロ:25戦20勝(16KO)4敗1引
獲得タイトル:
- WBA世界ミニマム級王座(暫定)
- WBAラテンアメリカミニマム級王座
戦目 | 日付 | 勝敗 | 時間 | 内容 | 対戦相手 | 国籍 | 備考 |
1 | 1999年12月07日 | 勝 | 1R | KO | マヌエル・セケラ | ベネズエラ | |
2 | 2000年03月02日 | 勝 | 1R | KO | エドウィン・マドリッド | コロンビア | |
3 | 2000年04月01日 | 勝 | 3R | TKO | ジョンソン・ディアス | ベネズエラ | |
4 | 2000年05月15日 | 勝 | 1R | KO | フィデル・ゴンザレス | ベネズエラ | |
5 | 2000年06月17日 | 勝 | 2R | KO | ファン・パブロ・カスティーリョ | 米国 | |
6 | 2000年07月01日 | 負 | 6R | 判定 | ミゲール・バレラ | コロンビア | |
7 | 2000年08月05日 | 勝 | 2R | TKO | ウーゴ・ディアス | コロンビア | |
8 | 2000年08月26日 | 勝 | 3R | TKO | ホルヘ・サラス | ベネズエラ | |
9 | 2000年09月02日 | 勝 | 1R | TKO | カルロス・レオン | ベネズエラ | |
10 | 2000年09月15日 | 勝 | 2R | TKO | エバー・パズ | コロンビア | |
11 | 2000年12月16日 | 勝 | 7R | TKO | ハイロ・アランゴ | パナマ | WBAラテンアメリカミニマム級王座 |
12 | 2001年07月07日 | 勝 | 6R | TKO | マイケル・アランゴ | コロンビア | |
13 | 2001年10月29日 | 勝 | 6R | TKO | フランシスコ・カプデビラ | ベネズエラ | |
14 | 2001年11月03日 | 勝 | 1R | TKO | ロヘール・ゲバラ | コロンビア | |
15 | 2002年05月18日 | 負 | 12R | 判定 | ノエル・アランブレット | ベネズエラ | WBAラテンアメリカミニマム級王座 WBA世界ミニマム級王座挑戦者決定戦 |
16 | 2002年11月30日 | 勝 | 1R | KO | ソファロ・レケロ | ベネズエラ | |
17 | 2003年05月26日 | 勝 | 10R | 判定 | ルイス・ブランコ | コロンビア | |
18 | 2004年01月31日 | 勝 | 12R | 判定 | チャナ・ポー・パオイン | タイ | WBA世界ミニマム級暫定王座 |
19 | 2004年05月05日 | 引 | 12R | 引き分け | チャナ・ポー・パオイン | タイ | WBA世界ミニマム級暫定王座 |
20 | 2004年10月30日 | 負 | 12R | 判定 | 新井田豊 | 日本 | WBA世界ミニマム級王座 |
21 | 2005年04月09日 | 勝 | 1R | KO | グスタボ・コルテス | コロンビア | |
22 | 2005年05月28日 | 勝 | 12R | 判定 | カルロス・メロ | パナマ | WBA世界ミニマム級王座挑戦者決定戦 WBAラテンアメリカミニマム級王座 |
23 | 2005年09月15日 | 勝 | 2R | KO | ディエゴ・ティラード | エクアドル | |
24 | 2005年12月17日 | 勝 | 10R | 判定 | ウォルベルト・ラモス | コロンビア | |
25 | 2006年8月2日 | 負 | 12R | 判定 | 亀田興毅 | 日本 | WBA世界ライトフライ級王座 |
前王者 新井田豊 |
暫定WBA世界ミニマム級王者 2004年01月31日 - 2004年10月30日 |
次王者 新井田豊 |
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