パーヴェル・フィローノフ
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パーヴェル・ニコラエヴィチ・フィローノフ(Павел Николаевич Филонов, Pavel Nikolayevich Filonov)1883-1941 ロシア、ソ連の画家、美術理論家。
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[編集] 略歴
1883年モスクワ生まれ、97年にペテルブルグに移住、活動の拠点とする。1910年頃から頭角をあらわし、13年にはマヤコフスキーの悲劇「ウラジーミル・マヤコフスキー」の舞台装置を手掛けた。25年には「分析的芸術工房(МАИ/マイー)」を結成。1941年、ドイツ軍包囲のレニングラードで死去。
[編集] 評価
現在、ロシアにおけるフィローノフの評価は非常に高く、カジミール・マレーヴィチ、ウラジーミル・タトリンと並ぶ、ロシア・アヴァンギャルド美術の代表的美術家として位置付ける評価がなされている。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- Павел Филонов(Russian)
- The Art of Pavel Filonov(日本語)