ドイッチュラント級装甲艦
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ドイッチュラント(Deutschland)級は、ドイツ海軍が第一次世界大戦後初めて就役させた最初の大型戦闘艦である。
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[編集] 発端
第一次世界大戦の敗戦によりドイツには理不尽なベルサイユ条約下で軍備制限が課せられた。戦闘艦の新造もその制限の一つで、同条約により「基準排水量10,000トン以下で主砲口径も23.3cmまで」という制限枠が課せられていた。
ベルサイユ条約により保有を認められていた旧式戦艦の代艦として建造が開始された当艦「ドイッチュラント」はその制限枠一杯を利用しており、列強各国の重巡洋艦よりも強力な武装を持った重巡洋艦と戦艦の中間を行く戦闘艦としてドイツ海軍では装甲艦(de)と類別したが、世界では「ポケット戦艦」「袖珍戦艦」「超海防戦艦」と渾名された。なお、ドイツ海軍は1939年にこの装甲艦を重巡洋艦に艦種変更した。
当時、仮想敵国はポーランドとその同盟国であるフランスで、1924年頃にポーランドは2隻の高速巡洋艦と6隻の駆逐艦、12隻の水雷艇と12隻の潜水艦による艦隊を計画しており、またフランスは装甲巡洋艦2隻と巡洋艦4隻、駆逐艦4隻と潜水艦3隻の派遣をポーランドに公約していた。ドイツ海軍は「東方の高速部隊」と「西方の低速重装甲艦隊」の二種類の敵に備えねばならなくなった。新造艦艇の排水量が1万トンに制限されている中で、装甲を犠牲にしなくてはならず、砲戦力と速力と軽量化を追求したのが本級の骨子である。
前弩級戦艦「プロイセン」の代艦枠を埋める艦として仮称名称「A級装甲艦」として設計が開始された本級であるが、建造当初のコンセプトは「バルト海の制海権を確保する」物であった。つまり、ソ連海軍のみならず、北欧バルト4国(スウェーデン・ノルウェー・フィンランド・デンマーク)の海防戦艦らに撃ち勝って、バルト海での海上交通路を維持することを目的としており、本来ならば大西洋に打って出る性質の物ではなかった。その為、本級の設計は試行錯誤の連続であった。数々の試案が検討された。以下はその試案と廃案の理由である。
- 基準排水量1万トン、380mm連装砲塔2基、150mm連装砲塔2基、88mm高角砲2門、舷側装甲200mm、22ノット
- →主砲のサイズが条約違反。
- 基準排水量1万トン、210mm連装砲塔4基、88mm単装高角砲4門、舷側装甲80mm、32ノット
- →火力の改善。以後は12インチ砲前後で設計。
- 305mm連装砲塔3基、105mm単装高角砲3門、舷側装甲200mm、21ノット
- →機動力の改善。
- 305mm連装砲塔2基、150mm連装砲塔3基、88mm連装高角砲3基、舷側装甲150mm、24ノット
- →機動性は向上したが、主砲門数が公算射撃が困難な門数である。後、索敵機の搭載も考慮する。
- 採用案:283mm3連装砲塔2基、127mm連装連装高角砲4基、舷側装甲100mm、航空機2機と射出機2機、28ノット
なお、海軍側からは本級は「政治によって造られた艦」で「弩級戦艦に砲力で、巡洋艦に速力で劣る艦」と、就役まえから酷評された。そのために「仮称B級装甲艦」(後の「アトミラル・シェーア」)では240mm砲9門の装甲巡洋艦として検討されたが、結局は設計は「ドイッチュラント」を踏襲した。
しかし、完成した艦の性能に列強諸国は瞠目した。10,000トンの制限下で28.3cm 3連装の主砲塔を2基も持ち、ディーゼル機関の採用にしたことで機関重量の軽量化とディーゼル機関特有の長大な航続性能を持つことができた。特にフランスはこの航続距離の長さを警戒し、本級がフランス本国と西アフリカ、西インド諸島との連絡線を攪乱することを恐れ、フランスはドイッチェラント級の建造後、「ダンケルク級中型戦艦」を建造する口実を得た。
イタリアはフランスに対抗し、練習艦任務に就いていたコンテ・ディ・カブール級戦艦とカイオ・ドゥイリオ級戦艦の近代化大改装を行い、超弩級戦艦のヴィットリオ・ヴェネト級戦艦を建造した。イギリスは廃艦の危機に晒されていた巡洋戦艦フッドとレナウン級巡洋戦艦2隻の近代化改装を行う予算案が通った。
さらに世界中で中型戦艦のブームが巻き起こり、高速戦艦の整備に拍車が掛かったった。これら一連の建艦競争の発端になるほど、本級のコンセプトは優れていたと評価することもできる。だが、実際の戦争において、その評判に見合うだけの結果が得られたかは疑問視されることもある。
本級は平時に北欧バルト4国やフランス=ポーランド同盟、ソ連への抑止力になる事にその存在意義があった。その能力は通商破壊も可能だったが、実際の通商破壊作戦は航空機の進化により水上艦にとって困難な時代になっていたのである。詰まるところ、想定外の戦闘を強いられ続けたことが、本級の悲劇の原因となった。
[編集] 艦形について
軽巡洋艦エムデンで培われた工業デザインを元にして旧来の姿から脱却している。船体は艦首に軽くシアの付いた長船首楼型で、艦首から新設計の「1928年型28.3cm(52口径)砲」を3連装砲塔に纏め1番主砲塔を1基、艦橋構造は「ドイッチュラント」のみ司令塔を組み込んだ操舵艦橋の両脇には耳のように二段に見張り台が張り出している。操舵艦橋から突き出るようにチューリップ型の単脚棒檣が伸び、頂部に10.5m測距儀、射撃方位盤室、前桁の長いX字型の信号桁が伸びている。「アトミラル・シェーア」「アトミラル・グラフ・シュペー」では上すぼまりの八角形塔構造になっており操舵艦橋横の見張り台のスペースが増え、戦闘艦橋横に探照灯とその台が1基ずつ設けられた。上部の10.5m測距儀はそのままである。なお、この艦橋構造は重心が高かったらしく、後に「アトミラル・シェーア」では塔状艦橋の構造を「ドイッチュラント」に類似したものへ改造された。煙突と艦橋の間は露天航空機置き場となっており、煙突を挟んでカタパルトがある、カタパルト360度回転し、いずれの方向にも射出出来た。煙突を挟んで両舷に、「15cm(55口径)単装砲」が片舷4基ずつの計8基装備された。これは一見、砲塔に見えるがこれは砲を波から守るカバーで、密閉はされている。そして後向きに配置された2番主砲塔の下で船首楼は終り、一段下がった甲板には並列に50cm魚雷4連装水上発射管が片舷1機ずつ2基置かれた。
[編集] 艦体について
本級は軽量化に設計の重点を置いており、主砲塔を旧来の主流であった連装砲塔から新式の3連装砲塔を採用したり、構造物に軽合金を多用し、船体建造方法も当時の主流であるリベット止めではなく、電気溶接で組みたてられた。ベルサイユ条約の制限である1万トンに押さえるための努力は数多くの新技術によりかなえられた。だが、それでも条約の1万トンを20%超過したが内外に1万トンと通した。
[編集] 機関について
機関にディーゼル機関を採用したのも蒸気機関よりも船体スペースを軽減できるからであって、長大な航続力は後からついてきたのである。結果的にこれらはよき宣伝材料となり、列強が本級の対応策に追われる間に、より強力な艦を研究・整備できる時間を造ってくれたのである。 しかし、問題がなかった訳ではなく各機関の回転総数が7,200万回転に達する間に、クロスヘッド・ピストン棒取り付け部の故障が頻発し十数回ほど改造したが効果はなく、最後に5分の1模型や部分模型による精密実験によってようやく原因を究明して故障を克服した。
[編集] 武装について
主砲は長砲身の28.3cm(52口径)砲を採用しており、第一次大戦時の物よりもかなり高初速の強力な物だった。12インチ砲を採用しなかった理由は軽く出来る事と、沢山の装薬を使って高初速で発射すれば1万m位での貫徹力では英国製38.1cm(42口径)砲にも劣らないからである。他に、過去の技術的蓄積が多く、弾丸を小さく軽くでき、射撃速度が稼ぎ易く、砲の旋回速度にも良好であるし、同じ弾丸定数ならその分弾薬庫も小さくでき防御重量も軽量化できるためである。 副砲を採用したのは本級が元は海防戦艦的なものであった名残であったが、砲塔方式は小型の船体では重量を食うので単装砲架に装甲カバーを取り付ける事にして軽量化に貢献している。仰角は最大35度までとれた。他に対空用として8.8cm(50口径)連装高角砲を船体中央部舷側に1基ずつ、2番主砲塔の背後に1基の計3基装備した。50cm魚雷4連装水上発射管を装備したのは主砲でも相手にならない戦艦と戦うときの備えであった。
[編集] その他
当初から主砲用測距儀(基線長10.5m)と方位盤射撃装置を搭載していたが、3番艦「アドミラル・グラフ・シュペー」では世界に先駆けて艦上レーダーを搭載し、測距精度を高めた。 本級はバルト海域に存在していたソ連海軍の「ガングート級」には火力や防御力で及ばないが、スウェーデン海軍の「スヴァリイェ級」や、「オスカーⅡ世級」、フィンランド海軍の「イルマリネン級」には速力や火力で勝っていた。
[編集] 艦歴
[編集] 海軍休日の時代
1931年5月19日、キールのドイッチェヴェルケ造船所で旗の波やブラスバンドに包まれながらパウル・フォン・ヒンデンブルク大統領の手によって進水し、1933年4月1日に装甲艦「ドイッチェラント」は就役した。同日、ヴィルヘルムスハーフェン造船所にて2番艦「アトミラル・シェーア」も進水した。1934年11月12日に就役した本級の1番艦がヴィルヘルムスハーフェンに配属されたのに対してキール軍港を定係港とした。なお、3番艦「アトミラル・グラフ・シュペー」は1934年6月30日に進水、1936年1月6日に就役した。
[編集] 要目
- 水線長:-m
- 全長:186.0m
- 全幅:20.6m
- 吃水:7.25m
- 基準排水量:11,700トン
- 常備排水量:-トン
- 満載排水量:15,900トン
- 兵装:28.3cm(52口径)3連装砲2基、15cm(55口径)単装砲8基、8.8cm(45口径)単装高角砲3基(1935年:8.8cm(76口径)連装高角砲3基)、3.7cm(83口径)連装機関砲4基、50cm魚雷4連装水上発射管2基
- 機関:MAN式2サイクルディーゼル機関8基2軸推進
- 最大出力:54,000hp
- 航続性能:20ノット/10,000海里、10ノット/21,500海里
- 最大速力:26ノット(公試時:28ノット)
- 装甲
- 舷側装甲:60mm
- 甲板装甲:40mm
- 主砲塔装甲: 140mm(前盾)、-mm(側盾)、-mm(後盾)、105mm(天蓋)
- パーペット部:-mm
- 司令塔:150mm
- 航空兵装:アラドAr196水上偵察機2機、旋回式カタパルト1基
- 乗員615~951名