トーキング・ヘッズ
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トーキング・ヘッズ(Talking Heads)は、1970年代、アメリカ合衆国ニューヨークでデヴィッド・バーンを中心に結成されたロックバンド。1973年に、前身のバンド「ジ・アーティスティック」を結成。メンバーは名門アート・スクールに通う美術系の学生であり、デビュー当初から、インテリ系パンク・バンドという言い方をされる場合が多かった。
1974年にロードアイランドデザイン学校で「トーキング・ヘッズ」結成。メンバーはボーカルとギターを担当するデヴィッド・バーンのほかに、ドラムのクリス・フランツ、ベース奏者のティナ・ウェイマスの3人で活動開始。ニューヨークのダウンタウンにあるCBGB'Sというバーで演奏活動を行う。1976年、キーボード奏者としてジェリー・ハリソンが加わり、4人構成となる。なお、クリス・フランツとティナ・ウェイマスは、トーキング・ヘッズに並行して『トムトム・クラブ』というバンドを組んでいた。
トーキング・ヘッズの音楽は、前衛的なものだったにも関わらず一定の商業的成功をおさめ、1980年代以降の音楽に与えた影響は大きい。時とともにアフリカン・ファンク色を強め、多数のサポートメンバーを加えてライブを行うようになる。
1984年、ジョナサン・デミ監督の出世作となったライブビデオ"Stop Making Sense"を発表。1988年、ブラジリアン・ポップやサルサなど中南米の音楽を取り入れたアルバム"Naked"を発表、これがラストアルバムとなった。
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[編集] 特徴
トーキング・ヘッズは、ジャンルとしてはニューヨーク・パンク、もしくはニューウェーブに含まれ、ワールド・ミュージックをポップスに導入する先駆けとなった。特にブライアン・イーノをプロデューサーとして迎え入れてからはアフロ・リズムを大胆にフィーチャーした楽曲を発表するようになり、前衛性とポップさを兼ね備えた稀有なバンドとして活躍した。また、メンバー以外のミュージシャンをサポートメンバーとして大胆に起用したことも画期的である。例えば、80年のアルバム「Remain in Light」収録の「The Great Curve」という曲ではエイドリアン・ブリューのアグレッシブなギターソロが堪能できる。
「Remain in Light」のライナーノーツによれば、楽曲は主にメンバー同士のセッションによって生まれた演奏フレーズに、バーンが適当に載せたメロディをストックしておき、それに後から詞を載せたり修正したりして制作されたという。繰り返される演奏フレーズやパターンの持つリズムやノリに重きをおいた制作姿勢で、コード・チェンジやAメロ、Bメロといった発想からも自由なその楽曲は、アフリカ音楽の表面だけでなく、その内面性にまで迫った非常に先進的なものであるといえよう。
[編集] ディスコグラフィー
[編集] スタジオ・アルバム
- サイコ・キラー`77 - Talking Heads: 77 (1977年)
- モア・ソングス - More Songs About Buildings And Food (1978年)
- フィア・オブ・ミュージック - Fear Of Music (1979年)
- リメイン・イン・ライト - Remain In Light (1980年)
- スピーキング・イン・タングズ - Speaking In Tongues (1983年)
- リトル・クリーチャーズ - Little Creatures (1985年)
- トゥルー・ストーリーズ - True Stories (1986年)
- ネイキッド - Naked (1988年)
[編集] デヴィッドの謎の動き
1980年に発売されたアルバム「Remain in Light」に収録されている代表曲「Once in a Lifetime」のプロモーションビデオでデヴィットは演奏中に謎の動きをする。(演奏を中断したわけではない)曲自体はトランスポートされた人間を歌っているので無理はないが、あまりにもおかしく、有名になり、有名な曲をパロディすることで有名なアル・ヤンコヴィックの「UHF」(曲はオリジナル)でもそのシーンが取り上げられるほど。