ディディウス・ユリアヌス
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ディディウス・ユリアヌス(Didius Julianus, 133年1月30日 - 193年6月1日)は、ローマ帝国の皇帝(在位:193年3月28日 - 193年6月1日)。本名はマルクス・ディディウス・セウェルス・ユリアヌス(Marucus Didius Severus Julianus)。
[編集] 生涯
133年にミラノで元老院階級の一族として生まれた。幼少の頃、マルクス・アウレリウス帝の母に育てられ成人するとたくさんの下級職をこなし、172年ごろに第22軍団プリミゲアの司令官に就任した。175年にペルティナクスと共に執政官に就任。172年から190年の間に、低地ゲルマニア、アフリカなど4つの属州総督を歴任し、ぺリティナクス帝暗殺当時は有力元老院議員の一人にまでなっていた。
暗殺後にローマ帝国史上最も奇想天外な方法であるローマ皇帝の地位をかけた「公開競売」が親衛隊により開かれた。彼とぺルティナクスの妻の父が参加。最終的に彼が競り落として即位した。しかし、その帝位就任の経緯からローマ市民からは尊敬されず、親衛隊には約束の金を払うことができず彼の支えるべき支持者を無くしていくありさまだった。すでに就任直後からローマ皇帝としての「正当性」を失っていた。
属州からの反乱の火の手が挙がり、最終的にローマ帝国の最強軍団であるライン川とドナウ川軍団の支持を得たセプティミウス・セウェルスがローマに進軍をはじめた。すでに反乱軍側に寝返った元老院はディディウス・ユリアヌスを処刑することを可決した。こうして皇帝就任から66日後に一人の士官によって処刑された。
[編集] 外部リンク
- ローマ皇帝
- 193年
-
- 先代:
- ペルティナクス
- 次代:
- セプティミウス・セウェルス