ディック・ミネ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ディック・ミネ(本名・三根 徳一(みね とくいち) 1908年10月5日 - 1991年6月10日)は徳島市出身の日本のジャズ・ブルース歌手。
目次 |
[編集] 経歴
東京帝国大学卒の厳格な教育者を父に持ち、日光東照宮の宮司の娘を母に持つディック・ミネは、四国に生まれた。幼少期から、音楽好きだった母親の所有していた西洋音楽のレコードに興味を持つ。父親の転勤の影響で、新潟にも転居したこともあったが、上京後、立教大学に入学。在学中から軟派の気風が加わり、次第にダンスホールなどでジャズに傾倒。自らもバンドの一員となり、アルバイトで歌も歌っていた。また、当時としては珍しいスチールギターの演奏が出来たため、レコード会社各社でアルバイト演奏を行い、ミス・コロムビアの歌う「十九の春」の伴奏なども務めた。立教大学卒業後、父親の勧めで逓信省貯金局に就職したものの、ダンスホールのバンドメンバーに誘われ音楽で身を立てる決意をする。1934年タンゴ楽団「テット・モンパレス・タンゴ・アンサンブル」で歌手兼ドラマーとして活躍していたのを、淡谷のり子に見出されレコード歌手の道を歩むこととなる。同年、テイチクの重役だった古賀政男の推薦で「ダイナ」をレコーディング。「ダイナ」では自ら訳詞と編曲、演奏を担当。トランペッターとして南里文雄も参加し、片面にカップリングされた「黒い瞳」とともにテイチク創立以来の大ヒット曲となった。
古賀政男の勧めで、流行歌もレコーディングするようになり、映画女優・星玲子とのデュエット「二人は若い」をはじめとして、1935年(昭和10年)には「波止場がらす」「ゆかりの唄」などを大ヒットさせ、日本調の歌手とは一線を画す新たなファン層を取り込んで、一躍流行歌界の寵児なる。「愛の小窓」、「人生の並木路」、「旅姿三人男」と歌謡曲のヒットが続く一方で、「アイルランドの娘」「林檎の木の下で」「ラモナ」「イタリーの庭」などの外国曲を日本語で歌い、戦前のジャズシーンを飾った功績は大きい。こうしたヒットの連続により、設立間もないテイチクは、ディック・ミネのほか、藤山一郎、楠木繁夫、美ち奴らドル箱スターを抱える大手レーベルの仲間入りを果たしたのである。ミネは、スクリーンへも活躍の場を広げ、日活映画「ジャズ忠臣蔵」をはじめ、マキノ正博の監督による「弥次喜多道中記」「鴛鴦歌合戦」「名君初上がり」「街の唱歌隊」といったミュージカル映画に出演。戦後は、演技もできる歌手として水島道太郎と共演した松竹映画「地獄の顔」、力道山主演の「純情部隊」などに俳優として活躍。ミネ本人は、「僕が時代劇に出るとバカ殿、現代劇ならヤクザ。こんな役しかこなかった」と語っているが、本人は満足していたようである。
1938年(昭和13年)、ミネが中国大陸に演奏旅行中に、古賀政男が「日本の流行歌は日本の名前で歌った方がいいだろう」とミネの了解を得ずに、本名を一文字変えて『三根耕一』の名前で「どうせ往くなら」「旅姿三人男」などを発売。帰国後、ミネの抗議によって、1939年(昭和14年)にはディック・ミネの名前に戻ったが、1940年(昭和15年)、内務省からカタカナ名前や皇室に失礼に当たる芸名は改名を指示され、ミス・コロムビアやあきれたぼういず、藤原釜足らとともにディック・ミネもその対象となり、止む無く『三根耕一』と改名したのである。1941年(昭和16年)の大東亜戦争(太平洋戦争)勃発以降は、極端に活躍の場を奪われたミネは、外国人が多く居住した上海租界に活動の場を移し、日本と上海を行き来する生活が続いた。
戦後、ジャズの復活とともに、流行歌の世界でも活躍を再開し、1947年(昭和22年)、自ら出演した映画「地獄の顔」の主題歌「夜霧のブルース」「長崎エレジー」がともに大ヒット。「雨の酒場で」「火の接吻」などのヒットを続ける一方で、スクリーンやステージで活躍。昭和30年代以降も、フランク永井やジェームス三木(ディック・ミネが芸名を名づける)など後輩の面倒見もよく、後に俳優として活躍した藤田まことや植木等らを育てている。昭和40年代以降のなつメロブームには欠かせない存在であったが、テレビの登場とともに司会やコメンテーターとしても活躍している。日本歌手協会の3代目の会長となった後も、「自分は好き放題やってきたから世の中のためになることをしたい」と反核運動にも参加する一面も見せた。1982年(昭和57年)には淡谷のり子と「モダン・エイジ」を発表し、二人合わせて150歳のデュエットと話題になった。生涯で4人の妻を持ち、天下のプレイボーイとして知られたミネは、平成3年(1991年)、急性心不全で死去。現在は多磨霊園に眠る。
[編集] 著作
- エッセイ集『八方破れ言いたい放題』政界往来社1985年3月ISBN 4-91-530302-0
[編集] 代表曲
- ダイナ 1934年(昭和9年)
- 二人は若い 1935年(昭和10年)共演:星玲子
- 元々は「のぞかれた花嫁」のB面曲。このA面曲「のぞかれた花嫁」は検閲に引っかかり、歌詞が改訂された。
- 人生の並木路 1937年(昭和12年)
- 旅姿三人男 1939年(昭和14年)
- 或る雨の午后 1939年(昭和14年)
- 上海ブルース 1939年(昭和14年)
- 夜霧のブルース 1947年(昭和22年)