スペクトル楽派
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スペクトル楽派(École spectrale すぺくとるがくは)とは、フランスを中心とする現代音楽の潮流の一つ。スペクトラル楽派、あるいはスペクトル音楽およびスペクトラル音楽(Musique spectrale)とも呼ばれる。
音響現象を音波として捉え、その倍音をスペクトル解析したり理論的に倍音を合成することによる作曲の方法論をとる作曲家の一群。現在ではフランスの現代音楽の主流である。音響分析や合成には、フランスの電子音響音楽研究施設IRCAMの果たした役割が大きい。
代表的な作例として、楽派の創始者と言えるジェラール・グリゼーとトリスタン・ミュライユの作品が挙げられる。グリゼーの代表作「音響空間」(詳しくはジェラール・グリゼーの項を参照)やミュライユの初期作品「記憶/侵蝕」では、一つの基音に対する倍音を加算合成していく。またミュライユの代表作「ゴンドワナ」やグリゼーの後期の大作「時の渦」では、鐘の音やラヴェルの引用など既存の音響をスペクトル分析して応用する。
グリゼーとミュライユがスペクトル音楽的発想へ行き着いた最初のきっかけは、イタリアの作曲家ジャチント・シェルシの影響が強い。一つの音を音響現象と見做し、その倍音成分を徹底的に聞き込むシェルシの音楽は、スペクトル音楽のプロトタイプとも言え、ローマ大賞を得て留学したばかりの若き2人の作曲家に多大な影響を与えた。そして2人はシェルシのアイデアを理論的に発展させ、スペクトル音楽の方向性を見出したのである。この学派におけるシェルシの地位はミニマル楽派におけるラ=モンテ・ヤングやセリエル楽派におけるオリヴィエ・メシアン、新ウィーン楽派におけるヨーゼフ・マチアス・ハウアーなどの次の時代のための最初のアイデイアの提供者的役割に匹敵する。
このグリゼーとミュライユの2人をはじめ、ミカエル・レヴィナス、ユーグ・デュフールらが結成したアンサンブル・イティネレールにより、スペクトル楽派の音楽は広く紹介された。これらの作曲家が楽派の第1世代にあたる。当初はIRCAMの座付き演奏団体であるアンサンブル・アンテルコンタンポランやポール・メファノが組織したアンサンブル2E2Mは、楽壇政治的な理由でスペクトル楽派の作品を敬遠していたが、現在は明らかなフランス現代音楽の主流としてこれらの団体でも取り上げている。
スペクトル楽派の影響はフランスという一つの国籍に縛られず、むしろIRCAMで学んだ多国籍の作曲家にあたえた影響が大きい。先述のいわゆる楽派第1世代の作曲家とほぼ同年代に当たるホラチウ・ラドゥレスク、イアンク・ドゥミトレスクはルーマニア人でありながらフランスへ渡り、本家とはやや趣を異にしたスペクトラルな言語で作曲している。その次世代にあたるフィリップ・ユーレル、フィリップ・ルルー、ジャン・リュック・エルヴェ(以上フランス)、カルロ・アレッサンドロ・ランディーニ(イタリア)、さらにそれに続くロザリー・ヒルス(オランダ)、アントン・サフロノフ(ロシア)、カタリーナ・ローゼンベルガー(スイス)など、楽派の影響は国籍を超えて発展した。ドイツのゲオルグ・フリードリッヒ・ハース、イタリアのマルコ・ストロッパ、イヴァン・フェデーレ、ファウスト・ロミテッリ、マウロ・ランツァ、イギリスのジョナサン・ハーヴェイ、ジョージ・ベンジャミン、フィンランドのカイヤ・サーリアホ、マグヌス・リンドベルイ、スイスのミカエル・ジャレル、その他南米の作曲家たちなどが、このスペクトラルな語法と自国の潮流や自分の個性をブレンドさせ、各国に影響を伝播している。
日本の作曲家ではアンサンブル・イティネレールでピアニストを務めた野平一郎を始めとして、夏田昌和、金子仁美、後藤英などがIRCAMでスペクトラルな語法を学び自己の作風に応用し、また一部は日本でスペクトル楽派の理論を教え広めつつある。
しかしIRCAMのコースを受講したほとんど全ての作曲家が、倍音の合成という直接的な音響の手法にアプローチする結果作風がある程度似通ってしまうのに対し、望月京はスペクトラルな理論に明らかな影響を受けながらも生み出す音響は個性を持っている点で、日本に限らずIRCAM受講者全体としても稀有な例である。ピアニストとして全く別系統のレパートリーを身につけ独自の活動に到ったフランチェスコ・リベッタのような者もいる。結果として反復語法に対する感性の類似が難点であり、この弱点をどのように次世代が克服するのかの目処はついていない。
まず第一に音響へのアプローチを試み、そこから理論を生み出すという作風は、フランスの伝統音楽の延長線に位置すると言える。例えば古くはバロック時代のオルガン音楽では、バッハの音楽ではあまり音栓を指定していないのに対し、フランスのラモーやフランソワ・クープランでは音栓が指定され、音色に対するアプローチが見られる。ロマン派の時代で近代管弦楽法を最初に組織したのもフランス人のベルリオーズである。近代ではドビュッシーやメシアンが高次倍音を多く含む色彩的な和声語法や優れた管弦楽法を生み出し、音色を音楽の重要なパラメータとして取り扱った。これらの文脈から考えて、スペクトル楽派がフランスで生まれるべくして生まれた作曲理論であると言っても過言ではない。またルイ・クープランはリズムの指定があいまいなクラヴサン作品を「無拍のプレリュード」として残し、ドビュッシーはピアノ曲においてテンポ・ルバートを多用した。スペクトラルな言語で作曲する際のリズム語法の曖昧さは、このような起源にも由来しているとも言える。パリ・コンセルヴァトワールの教育方針における「過去の偉大なる音楽文化の教程化」が後年のシェルシ作品に対してなされたと見ることも可能ではある。
[編集] 関連項目
ウィキペディア・フランス語版『現代音楽』内の『スペクトル楽派』fr:Musique contemporaine#L'école spectraleを参照。