ジョン・ライドン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョン・ジョセフ・ライドン(John Joseph Lydon, 1956年1月31日 - )は、イギリスのミュージシャン。ジョニー・ロットン(Johnny Rotten:腐れのジョニー)(これについては、歯磨きの嫌いな彼の汚い歯の状態から付けられたという説と、ピストルズのギターのスティーブ・ジョーンズが彼の態度の悪さに「お前は腐ってる」と言ったことから付けられたという説がある。)の愛称でパンク・ロックバンド、セックス・ピストルズのリード・ヴォーカルを務め、解散後はパブリック・イメージ・リミテッドを結成した。
目次 |
[編集] 経歴
伝えられるところによれば、ジョン・ライドンは1956年1月31日にロンドンのフィンズベリー・パークで生まれた。これは彼の自叙伝によるもので、彼の出生証明書は失われており事実を確認することはできない。両親は共にアイルランド移民であった。彼は三人の弟と共にフィンズベリー・パークの貧しい労働者階級の中で成長した。 幼い頃に髄膜炎を患い、半年近く生死の淵を彷徨い、その後遺症で退院した時は“cat(猫)”の綴りや両親の顔すら忘れている記憶喪失の状態で、それが原因で小学生の頃は苛められっ子であった。彼の猫背(脊髄注射の影響)と睨み付けるような目つき(そうしないと焦点が合わないため)も髄膜炎の後遺症である。何もかも一からやり直しの状態であったが、母親の熱心な教育のおかげで人並み以上のレベルまで取り戻すことができた。なので彼は攻撃的なキャラクターに似合わず、大変な母親思いである。彼はこの病気の過去を「“ロットン”への道を歩み始める第一歩」と語っている。
[編集] セックス・ピストルズ
小学生時代とは打って変わり、中学生からのライドンは退学処分されるほどの不良となり、十代後半はマルコム・マクラーレンのブティック「Sex」(デザイナーのヴィヴィアン・ウエストウッドが共同経営者)をたまり場としていた。1975年にマクラーレンがアメリカのバンド、ニューヨーク・ドールズとの小ツアーから帰り、スティーヴ・ジョーンズやポール・クックと共に新たなバンドの結成を模索していたとき、ライドンが現れた。ライドンは「I Hate」とサインペンでなぐり書きされたピンク・フロイドのTシャツを着ており、店内でのオーディションでアリス・クーパーの「アイム・エイティーン」を歌った。 セックス・ピストルズの社会風刺の効いた過激でストレートなメッセージ性の強い歌詞はライドンの手によるもので、「Anarchy in the U.K.」での“アンチ・キリスト”発言(キリスト教圏内ではありえないタブー)や「God save the Queen」では“女王は人間じゃない”“王室は民衆を白痴にする”などの痛烈な王室制批判など、現在でも考えられないような過激な歌詞をぶちまけている。これらの歌詞や言動によって、ライドンは右翼や国家警察の目の敵となり、ピストルズ時代には愛国主義者に襲われ、ナイフで足や左手の平を貫通するほどの怪我を負っている。この後遺症で左の拳が握れず、ギターも弾けなくなった。警察にも嫌がらせのように幾度となく家宅捜索や別件逮捕をされ、そのため現在もイギリスからアメリカに居住を移している。ライドンはイギリスの保守派全般に危険人物とみなされたと言ってよいだろう。 ピストルズの後半ライドンは、ヘロイン中毒である親友のシド・ヴィシャスの薬物治療の手助けするが、結局シドはヘロインをやめられず、まともに演奏できる状態ではなくなり、メンバー間の不仲も頂点に達し、バンドは最悪の状態に。アメリカツアーのサンフランシスコ最終公演を最後にライドンは脱退を表明。ラストライブの最後に言い放った彼の「アハハ、騙された気分はどうだい?」と、脱退表明時の「ロックは死んだ」はロック界の名言として残っている。
[編集] パブリック・イメージ・リミテッド
ライドンは1978年4月に、ベースのジャー・ウォブル、ギターのキース・レヴィン ドラムのジム・ウオーカーと共にパブリック・イメージ・リミテッドを結成し、ファースト・アルバム『First Issue』を発表する。その音楽は、まさにポスト・パンクといえる内容であった。その後メンバーの変遷を経て、パブリック・イメージ・リミテッドは徐々にライドンのワンマン・バンドと化していった。
[編集] 突然の変貌
2004年にイギリスITVのリアリティ番組「I'm A Celebrity Get Me Out Of Here」に出演。落ちぶれた芸能人がジャングルでサバイバルを行う番組で、ライドンは尻をカメラにつきだしたり、ダチョウにつつかれたりと「醜態」をさらすが、この番組によって、皮肉にも彼は「一流コメディアン」として世間に再認識されることとなった。
[編集] 性格
反抗的で不良じみたスタイルをアピールしているものの、実際はかなりのインテリで聡明な一面を持っており、ピストルズ以降の音楽活動でも パンクにとらわれない幅広い音楽性を見せた。またライブ・エイドなどの一連のチャリティー活動などには懐疑的で、「サンドイッチよりも教科書を与えるべきだ」というコメントを残している。
[編集] こぼれ話
セックスピストルズ時代、マネージャーのマルコム・マクラレンに「Submission(=服従、屈服)」に関しての詩を書けと言われたライドン。後日持って来た詩はなんと「Sub Mission(潜水艦の任務)」に関してのものであった。
ライブでは派手なパフォーマンスを見せるライドンだが、実はいつも大変緊張していたらしく、緊張を和らげるためによく著名な舞台俳優の伝記を読み漁っていたという。
[編集] 外部リンク
- Portrait of Johnny Rotten created by Shepard Fairey
- Official John Lydon website