ジョンソンM1941軽機関銃
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正式名称 | ジョンソンM1941 | |
全長 | 1066mm | |
銃身長 | 559mm | |
重量 | 6.49kg | |
口径 | 30-06弾 | |
装弾数 | 20発(箱型弾倉) | |
初速 | 600m/s | |
製造国 | アメリカ | |
製造 | クランストン・アームズ社 |
ジョンソンM1941は1941年にアメリカで開発された分隊支援火器である。
[編集] ジョンソンM1941軽機関銃の登場
1900年代のアメリカ陸軍では機関銃における生産の殆どはブローニング社が行っていた。その中で弱小ながらブローニング社に対抗するべく機関銃の売り込みを行っていた企業も少なからず存在している。当時、大学教授だったメルヴィン・ジョンソンによって設立されたクランストン・アームズ社もその企業の一つだった。
1941年に入りジョンソンはブローニングM1918の後継銃となるべくそれまで開発していたジョンソンM1941自動小銃を改良したジョンソンM1941軽機関銃を開発、アメリカ陸軍を中心に売り込みを開始した。ジョンソンM1941軽機関銃の特徴はブローニングBARに比べて威力に優れ、初期段階では軽量化や不発防止の目的からリボルバー式の弾倉を使用するといった独自の装弾方式を採用していた。しかしこの構造は不評判で試作の8丁のみで製造を中止し後に箱型弾倉に改められている。箱型弾倉の場合は機関部の横から装填する方式を取り、さらに銃身過熱の抑制の目的から放熱用のレギーターが取り付けられている。銃身交換も容易にでき運用に関してもBARに負けないくらいの性能を見せることに成功したといえる。 しかしアメリカ陸軍ではそれまで採用していたブローニング社との関係からアームズ社のこの新型機関銃の採用を見送った。
しかし、あきらめないジョンソンは陸軍から今度は海軍を対象に売り込みを開始、量産していた約1万丁分のM1941の売り込み、1942年から試用という形で仮採用となった。M1941の配備先としては海兵隊や空挺部隊で、それまで評判の悪かったレイジング短機関銃に変わり配備された。伏射の状態から弾薬交換が素早く出来るなど利点があったため兵士の間からはBARよりもM1941を希望することが多く、非常に評判が良かったようである。 しかし補給の混乱という理由から海軍でもM1941は正式採用されることはなかった。ジョンソンはM1941の欠点を改修しストックも単脚に、さらにストックも金属製に変更されたジョンソンM1944軽機関銃を開発し、再売り込みを開始するが結局、無駄に終わる。
この不採用については当時、軍の重火器の殆どを生産していたブローニング社が軍関係者に、さらには下部の生産工場にいたるまでの根回しや圧力を行ったことが原因とされる。
[編集] その後
性能的にはブローニングBARにも勝っていたとされるジョンソンM1941軽機関銃であるが、販売宣伝に関してはプロ級であったブローニング社とは違い企業的な戦略でクランストン・アームズ社が敗北したとされる。そのためジョンソンM1941軽機関銃は歴史からは姿を消すこととなったが、後にイスラエルでこのジョンソンM1941軽機関銃を参考にIMI社がドロール軽機関銃を開発している。だが外見はオリジナルのM1941とは全く違っている。