ジョアン5世 (ポルトガル王)
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ジョアン5世(ポルトガル語:João V, 1689年10月22日 - 1750年7月31日)は、ポルトガル(ブラガンサ朝)の国王(在位:1706年 - 1750年)。全名はJoão Francisco António José Bento Bernardo de Bragançaで、「寛大王(o Magnânimo)」と呼ばれる。ペドロ2世(太平王)と王后マリア・ソフィアの息子。
ジョアン5世は1689年にリスボンで生まれた。1706年12月、父王ペドロ2世の死去を受けて王位を嗣ぎ、翌1707年の1月1日に即位を宣言した。
彼はペドロ2世が1703年に参加していたアウグスブルク同盟(大同盟)への支持を継続した。部下のDas Minas将軍はGalway卿とともにカスティーリャ王国へ進軍したが、1707年4月14日のアルマンザの戦いに敗れた。
1708年10月、オーストリアとの同盟を強化するため、神聖ローマ皇帝レオポルト1世の皇女マリア・アナ(1683年 - 1754年)と結婚した。このためスペイン継承戦争ではフランスと戦った。
ジョアン5世は、1748年に教皇ベネディクトゥス14世の教書によって「いと敬虔なる王」という称号を授けられるほど聖職者よりの統治を行なった。
1742年にジョアン5世を襲った発作は麻痺を残し、以後彼は公務に支障を来たすようになった。1750年、ジョアン5世はリスボンで死去し、王位は息子のジョゼ1世が嗣いだ。
- ポルトガル王
- 1706 - 1750
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- 先代:
- ペドロ2世(太平王)
- 次代:
- ジョゼ1世(改革王)