ジューケンキャンパススタジオ
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ジューケンキャンパススタジオは、RCC中国放送で放送されていた夜のラジオ番組。
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[編集] 概要
10月より3月までのナイターオフの時期に放送された。時間は19時30分より21時まで。放送曜日は年により異なる。タイトルの「ジューケン」の通り、スポンサーは建材メーカーの住建産業(現在のウッドワン)の単独スポンサーだった。1990年より放送開始。その頃は、猫本由美や松本裕見子などが担当していたが、余り人気番組にはなっていない。その頃の放送は、現在ヤマダ電機広島本店になっている「ウィズワンダーランド」公開スタジオで放送されていた。
1993年10月~、1994年10月~、1995年10月~の3期、RCCアナウンサーの横山雄二が担当し、局アナらしくない型破りなトーク(下ネタ、上司いびり等)などの飾らず本音で語るキャラクターで人気番組に押し上げた。1995年1月に番組の企画でCD「広島の空」を発売。ヴァージン・メガストア広島で年間シングル売上第2位を記録した。元々スポーツアナだった横山は、その後バラエティアナウンサーとして活躍する事になる。この放送期間に阪神・淡路大震災が発生し、リスナーより集めたラジオ3000台を横山本人が被災地に届けた。
1996年10月~1997年3月までRCCアナウンサーの吉田幸が担当。フリーパーソナリティの高橋K介(当初は本名の「高橋恵介」と表記されていた。その後「ラジオチョモランマ」に出演)と2人でで進行している。「ジューケンキャンパススタジオ」としての放送はその年が最後になる。
余談だが、1997年10月~1998年3月は「吉田幸のモー・モー・モー」として放送され、その後、ローカル枠は消滅している。
[編集] キャンスタ
番組にはキャンパススタッフ、略して「キャンスタ」と呼ばれ、多くの人が出演していた。ジューケンキャンパススタジオ終了後も、びしびしばしばしらんらんラジオや、さらにはローカルタレントに成った人も多い。広島ホームテレビのアナウンサーだった八木静佳もキャンスタだった。
※横山雄二は、男性のキャンスタの事を自分の苗字と「横浜銀蝿」とを掛けて「横山銀蝿」と呼んでいた。
[編集] 進行役
- 1990年10月~1991年3月:金光一昭(現:BB金光〔エフエム山口アナウンサー〕)、猫本由美
- 1991年10月~1992年3月:広田稔、猫本由美
- 1992年10月~1993年3月:小西啓介、松本裕見子
- 1993年10月~1994年3月:横山雄二、飯村徳穂
- 1994年10月~1995年3月:横山雄二、飯村徳穂
- 1995年10月~1996年3月:横山雄二、飯村徳穂
- 1996年10月~1997年3月:吉田幸、高橋恵介
[編集] 放送曜日
- 1990年10月~1991年3月:月曜日~水曜日(木:あっちゃんのミュージックスコール、金:ハードデイズナイト金曜電リクパラダイス)
- 1991年10月~1992年3月:水曜日~金曜日(月・火:ドンと!電リク90分)
- 1992年10月~1993年3月:水曜日~金曜日(月・火:ドンと!電リク90分)
- 1993年10月~1994年3月:水曜日~金曜日(月・火:ドンと!電リクファンキーナイト)
- 1994年10月~1995年3月:月曜日~木曜日(金:ドンと!電リクファンキーナイト)
- 1995年10月~1996年3月:月曜日~木曜日(金:ドンと!電リクファンキーナイト)
- 1996年10月~1997年3月:月曜日~木曜日(金:CD-DOG COUNTDOWN )
[編集] コーナー
- 一徹のちゃぶ台
etc
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