ジャーコモ・マイアーベーア
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ジャコモ・マイアベーア (Giacomo Meyerbeer, 1791年9月5日-1864年5月2日)は、ユダヤ系ドイツ人の歌劇作曲家。本名はJacob Liebmann Beer(ヤーコプ・リープマン・ベーア)。
裕福な銀行家のユーダ・ヘルツ・ベーア Juda Herz Beer とアマーリエ・ベーア Amalie Beer (マルカ・リープマン・マイアー・ヴルフ Malka (bas-) Lipmann Meyer Wulff)の息子として、ベルリンのフォーゲルスドルフ Vogelsdorf に生まれる。リープマンが母方、マイアーベーアが父方と母方の複合姓であることは言うまでもない。リープマン・マイアー・ヴルフは母親の父の名前で(ユダヤ教徒にはこの時代有名な家系以外姓というものは存在せず、またユダヤ教では母方を重視する)、この祖父の遺産相続の際に、マイアーをさらにベーアの前に付け加えてマイアーベーアと名乗りだした。
兄弟にはヴィルヘルム・ベーア Wilhelm Beer とミヒャエル・ベーア Michael Beer がいる。
C.M.v.ウェーバーとともにフォーゲラー神父に作曲を学び、さらにクレメンティやサリエリ、ツェルターなどの当時のベルリン音楽界の重鎮に師事する。ピアノ演奏家として名声を得たが、のちにイタリアへ赴き、1815年ヴェネツィアでロッシーニの歌劇《タンクレディ》を聴いて歌劇作曲家に転じた。
1824年に作曲した《エジプトの十字軍 Il crociato in Egitto》のパリ公演で名声を博し、1826年からパリに定住し、1831年《悪魔ロベール Robert le diable》や1836年《ユグノー教徒 Les Huguenots》、1849年《預言者 Le prophète》などの歌劇を発表した。1842年からベルリン歌劇場の音楽監督に就任。パリで没する。
彼の楽風は、ロッシーニにより興行的に成功したイタリア歌劇の様式と、モーツァルトなどのドイツ歌劇の様式を折衷し、豪華絢爛なグランド・オペラの形式を確立、その後のフランス・オペラの発展やワーグナーにも影響を与えた。
しかし同時代の作家であるスタンダールからは、「氏はベルリンの裕福な銀行家の息子だが、すすんでイタリアへやってきて、ただの楽長になった」としてロッシーニの亜流の扱いを受け、台本の愚劣さ、博識に裏付けられた非凡な和声的能力、そしてカンティレーナの選択のまずさを指摘されている。その死後、作品の評価は急速に低下し、今日では復活上演の試みもあるものの、高い評価を得るにはいたらない。
歌劇以外の作品としては、クラリネット五重奏曲、『松明舞曲』などの吹奏楽曲、歌曲、ピアノ小品などがある。