ジェームズ・R・シュレージンガー
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ジェームズ・ロドニー・シュレージンガー(James Rodney Schlesinger, 1929年2月15日 - )は、アメリカ合衆国の政治家。ニクソン政権およびフォード政権下の国防長官。ジェラルド・フォード大統領はその「よそよそしく、しばしば尊大な態度」から彼を解任した。
国防長官の任期に彼は徴兵忌避者の恩赦に反対し、より精巧な核兵器システムの開発を要求した。さらに、A-10および軽量戦闘機(後のF-16)の開発プログラムを支援し、両機は後に正式採用された。
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[編集] 生い立ちおよび経歴
シュレージンガーはニューヨーク市で生まれ、ハーバード大学経済学部で学士号(1950年)、修士号(1952年)、博士号(1956年)を得た。彼は1955年から1963年までヴァージニア大学で経済学を教え、1960年には『The Political Economy of National Security』を出版した。1963年にはランド・コーポレーションに移り同社で戦略研究管理者として1969年まで働いた。
[編集] ニクソン政権への参加
1969年にシュレージンガーは予算事務局の副局長としてニクソン政権に参加し、その多くの時間を防衛問題に費やした。1971年にニクソン大統領は彼を原子力委員会(Atomic Energy Commission, AEC)の委員に任命し、彼を委員長に指名した。彼は同職を約一年半務め、原子力委員会の業務改善のため広範囲な組織改編を行った。
[編集] CIA長官
1973年2月2日に彼は、ウォーターゲート事件の調査妨害を拒否したために解任されたリチャード・ヘルムズの後任としてCIA長官に就任した。伝えられるところによれば、シュレージンガーが長官に就任して最初に語った言葉は「私はリチャード・ニクソンを締め上げないことを確かめるためにここにいる。」というものであった。彼の任期は短期間であったが、原子力委員会同様に包括的な組織の人員変更を試みた。このときまで彼はタフで率直な行政官と見なされていた。
[編集] 国防長官
シュレージンガーは1973年7月2日に44歳で国防長官に就任し、CIA長官を辞任した。その若さにもかかわらず彼の学歴と政権内での信頼は国防長官が適任であると考えられた。大学教授、国土の研究家および三つの政府高官として、彼は国家安全保障において印象的な経験を得た。
[編集] 国防長官の解任
[編集] その後の経歴
前任: エリオット・L・リチャードソン |
アメリカ合衆国国防長官 1973 - 1975 |
後任: ドナルド・ラムズフェルド |
前任: リチャード・ヘルムズ |
CIA長官 1973 |
後任: ウィリアム・E・コルビー |