シドニー・ウェッブ
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シドニー・ウェッブ(Sidney James Webb, 1st Baron Passfield、1859年7月13日 - 1947年10月13日)は、イギリスの政治家。のちの労働党へと繋がるフェビアン協会の中心人物で、マルクス主義を否定して漸進的な社会改革を主張した。
[編集] 生涯
1859年、ロンドンで生まれた。仕事のかたわら、ロンドン大学で法学を修める。フェビアン協会の創設期より中心的役割を果たし、妻ビアトリスやバーナード・ショーらとともに、マルクス主義を否定して議会政治の枠内で漸進的な社会改革を進めることを主張した。フェビアン協会は労働組合などと結びつき、労働代表委員会を経て労働党へと結実し、ウェッブは労働党員として党内の要職を歴任した。1924年、初めての労働党内閣(自由党との連立)が成立した際にも閣僚をつとめた。
[編集] 主著
- 『労働組合運動史』(The History of Trade Unionism)
- 『産業民主制論』(Industrial Democracy)
[編集] 関連項目
- フェビアン主義