サン=ジェルマン=アン=レー
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サン=ジェルマン=アン=レー | |
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地域圏 | イル・ド・フランス |
県 | イヴリーヌ |
行政機能 | 郡庁所在地 |
人口 | 38,423 人 (1999年) |
面積 | 48.27 km² |
サン=ジェルマン=アン=レー(Saint-Germain-en-Laye)はフランスのイル・ド・フランス地域圏イヴリーヌ県(パリの西部)の都市。市名が示すとおり、サン=ジェルマン=アン=レー城を中心に発展した。パリやセーヌ川を一望できる台地にある。この都市の住民のことはサン=ジェルマノワ(Saint-Germanois)と呼ぶ。作曲家クロード・ドビュッシー生誕の地でもある。
目次 |
[編集] 歴史
- 1124年- ルイ6世によって最初の城塞が築かれた(シャトー・ビュー(château vieux, 古城))。
- 16世紀- アンリ2世によってシャトー・ヌフ(château neuf, 新しい城)が建造された。
- 1689年に、当時の国王ルイ14世がヴェルサイユに移り住むまで、王の居城であった。
- 1837年- パリからサン=ジェルマン=アン=レーへの鉄道が開通する
[編集] この都市にゆかりのある有名人
- アンリ2世:フランス王
- シャルル9世:フランス王
- ルイ14世:フランス王。サン=ジェルマン=アン=レーで生まれた。
- モンテスパン侯爵夫人:ルイ14世の愛人
- クロード・ドビュッシー:作曲家
- モーリス・ドニ:画家
- アメリ・モレスモ:テニス選手
[編集] サン=ジェルマン=アン=レー条約
フランスの歴史上、この名で呼ばれる条約は多い。以下は全て、サン=ジェルマン=アン=レー条約(Traité de Saint-Germain-en-Laye)と呼ばれるものである。
- 1624年9月5日- フランスとイギリスの間で締結された。
- 1632年3月29日- フランスとイギリスの間で締結された。
- 1635年10月26、27日- フランスとザクセン=ヴァイマール公の間で結ばれた。
- 1679年6月29日- フランスとブランデンブルク選帝侯との間で締結された。
- 1679年10月25日- 同じく、フランスとブランデンブルク選帝侯との間で締結された。
- 1919年9月10日- 第一次世界大戦後、連合国側とオーストリアの間で結ばれた条約。日本では、サンジェルマン条約とも呼ばれる。
[編集] 観光名所
- サン=ジェルマン=アン=レー城
- ルイ6世の時代からルイ14世の時代まで、国王の主要な居城の一つとして機能した。現在の城はルネサンス様式のもので、フランソワ1世によって再建され、ナポレオン3世によって修復されたもの。現在城内は国立考古学博物館(le musée des Antiquités nationales)となっている。
- 県立モーリス・ドニ(ル・プリゥレ)美術館(Musée départemental Maurice Denis « Le Prieuré »)
- モーリス・ドニの旧邸宅を美術館にしたもので、彼や他のナビ派の作品を展示している。