コンゴ王国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
コンゴ王国とは、中部アフリカ太平洋岸にあった王国である。現在のコンゴ共和国、コンゴ民主共和国、北アンゴラに相当する。
ヨーロッパ人がアフリカに来航する以前、コンゴ王国は、稠密な貿易網の上になりたつきわめて高度に整備された国家であった。1480年代よりポルトガル人が来航し、1490年にはローマ・カトリックの宣教師が初めて現れた。マニコンゴ(コンゴ国王の称号)はカトリックに改宗し、アルフォンソの洗礼名を受けた。また同じくカトリックの洗礼名を受けた王子アルフォンソをポルトガルへ留学させた。
その後コンゴ王国はアフリカにおける奴隷貿易の中心地となった。
1665年、アンゴラからポルトガル軍が侵攻し、コンゴ王国軍を破った。国王アントニオ1世は廷臣に殺害された。コンゴ王国はその後も名目のみ存続したが、19世紀末、ベルギーとポルトガルの植民地として分割統治をすることと決められ。これによって王国は消滅した。これはベルリン会議 (アフリカ分割)の決定によるものである。
[編集] 関連項目
カテゴリ: アフリカ史 | 歴史関連のスタブ項目 | アフリカ関連のスタブ項目