ケイティタイガー
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性別 | 牡 |
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毛色 | 鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1989年3月6日 |
死没 | - |
父 | スーパールーセント |
母 | ホウシュウムサシ |
生産 | 越田牧場 |
生国 | 日本(北海道長万部町) |
馬主 | 瀧本和義 |
調教師 | 吉岡八郎(栗東) |
競走成績 | 55戦6勝(うち障害41戦5勝) |
獲得賞金 | 3億5121万9000円 |
ケイティタイガーは日本の競走馬。1997年の中山大障害に優勝した鹿毛の牡馬である。
祖母のクロユリは障害戦20勝、阪神大障害(京都大障害の代替開催)に優勝した名馬であり、伯父にブゼンサカエ{1973年京都大障害(秋)1976年阪神障害ステークス(春)}、叔母にホウシュウスカイ{1978年阪神障害ステークス(秋)}がいる障害一族の出身である。
[編集] 戦績
平地デビューは遅く1992年6月20日の4歳未勝利戦。3戦目で初勝利を挙げたが2度の長期離脱が響いたかその後1勝もすることなく1995年より障害に転向した。
障害初戦こそ8着に敗れるものの3戦目で初勝利、5戦目で2勝目を挙げるなど活躍を見せる。しかしオープンクラスでは善戦はするが勝ちきれない日々が続き、オープン6戦目で小倉障害ステークスには勝利するが、直線ダートでは伸びを欠き、重賞ではポレール、アワパラゴンなどの強敵の後塵を拝すなど2年以上2,3着を繰り返す成績が続く。
そして1997年中山大障害(秋)。同レース4連覇を狙うポレールが1番人気に推され、重賞3連勝のアワパラゴンが回避したこともありケイティタイガーは2番人気となった。レースでは好位から早めに抜け出したポレールが粘り込みを図るが、6㎏の斤量差が響き、一旦は2番手に下がったケイティタイガーが直線で差返し決勝線では1馬身半差をつけて優勝した。
翌1998年の東京障害特別(春)も優勝し、その後も酷量と戦いながらも善戦を続け1999年中山グランドジャンプでも2着と好走したが、11歳という年齢から来る衰えか、それから成績が一気に下降し2000年の同レースを最後に引退した。
障害競走には40戦以上出走したが生涯落馬することなく、5年以上一線級で安定した成績を残した。
現在は越田牧場で功労馬としての生活を送っている。
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