キーンランドスワン
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性別 | 牡 |
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毛色 | 栗毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1999年2月17日 |
死没 | (現役競走馬) |
父 | ディスタントビュー |
母 | トゥーアクト |
生産 | アメリカ |
生国 | アメリカ(Jim Ryan & Geraldine Ryan) |
馬主 | 平井豊光 |
調教師 | 森秀行(栗東) |
競走成績 | 47戦7勝 |
獲得賞金 | 2億9790万8000円 |
キーンランドスワンは日本の競走馬である。
[編集] 戦歴
四位洋文を鞍上に迎え、新馬戦デビューから2連勝を飾り、2歳時は期待された存在だったものの、その後は惨敗続きであっさり存在も影を潜めてしまう。
3歳時にオープン特別の橘ステークスで2着に入り復調ぶりを見せるが、その後のNHKマイルカップ、ファルコンステークスはともに人気薄でいい所なく惨敗。この年の夏は自己条件の1000万下クラスから出直し、少しずつ力を付けて行き、2002年11月にはアンドロメダステークス、翌年1月には淀短距離ステークスとオープン特別を2勝するが、その後故障が判明し、1年の休養を余儀なくされた。
2004年、5歳になったキーンランドスワンは休養前の最後と同じレースだったその年の淀短距離ステークスで復帰、その後叩き2走目となったシルクロードステークスでドイツのトップジョッキーアンドレアス・スボリッチの騎乗により重賞初制覇を果たす。のちに主戦騎手である四位の騎乗で、GIである高松宮記念で3着に食い込む健闘も見せた。その後は再びスランプ気味になり、9月のセントウルステークスで2着に入るぐらいが精一杯だったが、翌年2月に阪急杯に勝利、その勢いのまま2度目の挑戦となった高松宮記念では2着に入る活躍を見せた。上記の3戦ではいずれも四位が騎乗している。
2005年の夏、キーンランドスワンは海外遠征し、ゴールデンジュビリーステークス、ジュライカップの2つの大レースに挑戦するが、世界の壁は厚かったのか、いずれも惨敗に終わる。日本に戻り、セントウルステークス、スプリンターズステークスとともに5着とそれなりに頑張ったが、その後は惨敗をくり返し、交流重賞で4着に食い込むのが精一杯と言う程の深いスランプに陥った。
そこで陣営は新境地を開くべく、障害レースを走らせている。
[編集] 主な勝ち鞍
- シルクロードステークス
- 阪急杯
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