ウルバヌス6世 (ローマ教皇)
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ウルバヌス6世(Urbanus VI 1318年 - 1389年10月15日、在位1378年 - 1389年)は14世紀後期、アヴィニョン捕囚の時期が終わった後に選出されたローマ教皇である。対立教皇が選出され、教会大分裂の事態となる。
ナポリ出身、本名はバルトロメーオ・ディ・プリニャーノ Bartolomeo Prignano。 先代の教皇グレゴリウス11世はアヴィニョンからローマに帰還し、翌年亡くなった。1378年4月ローマで行われた教皇選挙(コンクラーヴェ)では、「ローマ人かイタリア人教皇を」と叫ぶ群集が選挙会場を取り囲んだ。フランス人が多数派の枢機卿らは、身の危険を感じる中、バーリ大司教を選出した。ウルバヌスの出身地ナポリはカペー・アンジュー家が支配しており、フランスの勢力下に置くのに都合がよいと考えられたという。
ウルバヌス6世は選出後、イタリア人枢機卿を増やし、教会の改革を宣言して高圧的な態度に出た。これに反発したフランス人枢機卿らは、同年9月、アナーニに集まり、教皇選挙は脅迫のもと行われたので無効であるとして、クレメンス7世を新教皇(対立教皇)に選出し、フランス王、ナポリ王、スペイン王、スコットランド王が支持したため、教会大分裂の事態となった。
- ローマ教皇
- 第202代: 1378年-1389年
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- 先代:
- グレゴリウス11世
- 次代:
- ボニファティウス9世
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