ノート:イデアル
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[編集] 極大イデアル
ていうか、体では自明なイデアル0が極大イデアルなんじゃないんですか?--Pugnari 2006年12月18日 (月) 12:58 (UTC)
- 確かに体では極大イデアルが{0}に退化していると考えることは可能ですが、その論調だと単純環も自明なイデアル{0}が極大イデアルということになりますよね。体でない単純環を{0}で割っても体になりませんので、本文にそう書いてしまうと極大イデアルで割れば体が得られるという記述と齟齬が出ますね。というか普通は極大イデアルの定義で自明でないことを要求すると思いますが、この記事ではそうなっていないようです。この記事の記述は教科書を齧っただけでよく理解もせずに引き写ししただけのようなもので、理論的・論理的な背景がまったく欠けていると思いました。--LILO 2006年12月18日 (月) 13:45 (UTC)
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- 非可換環をその極大両側イデアルで割ったときに斜体になるとは限らないので、設定が非可換だといずれ「極大イデアルで割れば体が得られる」は誤りだということになります。--Makotoy 2006年12月18日 (月) 13:56 (UTC)
- 体のイデアル 0 が極大イデアルだとすることに特に不都合はないはずだし、ブルバキ、ファン・デル・ウェルデン、山崎圭次郎著『環と加群』岩波書店、渡辺敬一『環と体』朝倉書店、酒井文雄『環と体の理論』共立出版などはその流儀をとっています。LILOさん、あなたのおっしゃる「自明でないイデアル」がPugnariさんの書いている「0イデアル」のことをさしているならば、極大イデアルの定義に非自明性を要請している書籍を挙げていただけますか?--Makotoy 2006年12月19日 (火) 10:17 (UTC)