アルパイ・オザラン
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アルパイ・オザラン(Fehmi Alpay Özalan、1973年5月29日 - )はトルコ・イズミル出身の同国代表、ドイツ・ブンデスリーガ・1.FCケルン所属のサッカー選手(DF)。
ソマ・リンイット・シュポルに入団し、地元のクラブチーム・アルタイに加入。空中戦の強さと1対1での競り合いの強さが認められ、1994年にベシクタシュへ移籍。その年のリーグ制覇に貢献した。また1995年2月15日のルーマニア戦では代表デビューを果たし、以来EURO1996やEURO2000など数々の代表戦でトルコ守備陣の要として活躍する。1999年にはフェネルバフチェに移籍するも、翌年にはFAプレミアリーグ・アストン・ビラへ移籍し、中心選手として活躍を見せるが、2002年の日韓W杯直前の1月に故障に見舞われる。
故障から復帰し、日韓W杯では初戦で退場となったものの、決勝トーナメントの試合には出場を果たし、トルコの3位入賞に貢献した。しかしEURO2004予選の対イングランド戦でのデビッド・ベッカムに対する舌禍事件で英国民の感情的な反発を招き、結果アストン・ビラを解雇される。その後、Kリーグ・仁川ユナイテッドへ移籍し、2004年にはJリーグ・浦和レッズに加入。ここでも守備の要としてセカンドステージ制覇に貢献した。
2005年も活躍が期待されたが、ペットボトルを蹴り上げたりなどの問題行為で、警告処分が続いた上に、エメルソンの退団による新外国人獲得による外国人枠の関係もあって6月に浦和から契約解除され、1.FCケルンへ移籍した。
1.FCケルン移籍後も、破天荒ぶりは相変わらず。 トルコ代表として出場した2006 FIFAワールドカップ予選プレーオフのスイス戦で乱闘に参加、6試合の代表試合出場停止と1万5000スイスフラン(約136万円)の罰金の裁定を受ける。また、チームでも危険行為を犯し一時謹慎処分を受けていた。 これでも1996年のUEFA欧州選手権ではフェアプレー賞を受賞したこともある。
と、サッカーの事のみを挙げれば乱暴な印象しかないが、一度ピッチを降りれば至って紳士的な人物である。
[編集] 選手経歴
- ソマ・リンイット・シュポル(トルコ) 1991-1992
- アルタイ(トルコ) 1992-1994
- ベシクタシュ(トルコ) 1994-1999
- フェネルバフチェ(トルコ) 1999-2000
- アストン・ヴィラ(イングランド) 2000-2003
- 仁川ユナイテッド(韓国) 2004
- 浦和レッズ(日本) 2004-2005
- 1.FCケルン(ドイツ) 2005-
[編集] 外部リンク
- Alpay Özalan - 公式サイト(更新停止中)
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