アイテル・フリードリヒ・フォン・プロイセン
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アイテル・フリードリヒ・フォン・プロイセン(Eitel Friedrich von Preußen, 1883年7月7日 - 1942年12月8日)は、プロイセン王国の王族・軍人。陸軍少将(Generalmajor)、プール・ル・メリット勲章受章者。全名はヴィルヘルム・アイテル・フリードリヒ・クリスティアン・カール(Wilhelm Eitel Friedrich Christian Karl)で、家族からは「Eitel Fritz」と呼ばれた。ヴィルヘルム2世の次男。
アイテル・フリードリヒは1883年7月7日、ヴィルヘルム2世(当時皇太子)とその妃であったシュレースヴィヒ=ホルシュタイン公フリードリヒ8世の娘アウグステ・ヴィクトリア(1858年 - 1921年)の間に第二子としてポツダムの大理石宮殿で生まれた。
1906年2月27日にオルデンブルク大公フリードリヒ・アウグストの娘ゾフィー・シャルロッテ(1879年 - 1964年)と結婚した。しかし彼女との間に子供は生まれず、また1926年に二人は離婚した。
1914年の第一次世界大戦開戦時、アイテル・フリードリヒは第一近衛歩兵連隊の司令に任じられていた。敗戦後は父ヴィルヘルム2世や兄ヴィルヘルムがオランダへ亡命した後もドイツに残った。ヴァイマル共和政下では鉄兜団(シュタールヘルム)やSemper talis Bundといった退役軍人会で活発に活動し、帝政復古を求めるBund der Aufrechtenにも参加した。しかしこれらの組織が国民社会主義的色彩を強めていくと、彼は距離を置くようになった。
アイテル・フリードリヒは1942年12月8日にポツダムで死去した。アドルフ・ヒトラーは葬儀への軍人の参加を認めなかったため、かつての戦友たちは私服で参列しなければならなかった。墓所はサンスーシ宮殿内のAntikentempelにある。
カテゴリ: ホーエンツォレルン家 | 1883年生 | 1942年没