とはずがたり
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とはずがたり(とわずがたり)とは、鎌倉時代の中後期に後深草院二条(ごふかくさいんのにじょう)がつづったとみられる日記および紀行文。
誰に問われるでもなく自分の人生を語るという自伝形式で、後深草院に仕えた女房二条の14歳(1271年)から49歳(1306年)ごろまでの境遇、帝や恋人との関係、宮中行事、尼となってから出かけた旅の記録などがつづられている。 二条の告白という形だが、ある程度の物語的虚構性も含まれると見る研究者もいる。 5巻5冊。1313年ごろまでに成立した模様。
この日記は宮内庁書陵部所蔵の桂宮家蔵書に含まれていた桂宮本(後代の写本)のみ現存。1940年(昭和15年)山岸徳平より紹介されるまでは、その存在を知る人も少なかった。 書陵部(当時は図書寮)で『とはずがたり』を見出した山岸徳平は蜻蛉日記にも対等すると直感したという。彼により「国語と国文学」9月号で「とはずがたり覚書」という形で紹介された。 一般への公開は1950年(昭和25年)の桂宮本叢書第15巻が初。
目次 |
[編集] 主な登場人物
- 「二条」:中院大納言源雅忠(久我雅忠)の娘、幼名「あかこ」。母は後深草院大納言典侍(だいなごんのすけ、後深草院の乳母)
- 後深草院
- 亀山院:後深草院の弟。
- 「雪の曙」:西園寺実兼(1249-1322、権中納言、関東申次)と見られる。
- 「有明の月」:御室(おむろ)の阿闍梨(あじゃり)性助法親王と見られるが、異説もある。
- 「近衛大殿」:鷹司兼平と見られる
[編集] あらすじ
- 第1巻:筆者は村上源氏流の久我雅忠の娘として生まれる。2歳の時に母を亡くし4歳からは後深草院の手元で育てられる。14歳にして、他に思い人「雪の曙」がいるにもかかわらず後深草院の寵を受ける。院の子を懐妊、程なく父が死去。皇子を産む。後ろ楯を亡くしたまま、女房として院に仕え続けるが、雪の曙との関係も続く。雪の曙の女児を産むが、他所へやる。
- 第2巻:粥杖騒動と贖い。「有明の月」に迫られて契る。女楽で祖父の兵部卿四条隆親と衝突。「近衛大殿」と心ならずも契る。
- 第3巻:有明の男児を産むが他所へやる。有明死去。有明の男児を再び産むが、今回は自らも世話をする。御所を退出。
- 第4巻:尼となったのちの日々。熱田神宮から、鎌倉、善光寺、浅草へ。八幡宮で後深草法皇に再会。伊勢へ。
- 第5巻:厳島へ、後深草院死去。跋文。
[編集] 源氏物語の影響
- 若紫:二条は4歳から後深草院の手元で育てられたが、これは多分に源氏物語の若紫を連想させる。
[編集] 増鏡との関係
『増鏡』(南北朝時代成立)には『とはずがたり』の文章が数段に渡って用いられている。また、『とはずがたり』発見以前には後深草天皇の女性関係に関する記録が乏しく、『増鏡』における同天皇の女性関係の記述を創作あるいは弟の亀山天皇のものとの誤認説を唱える学者もいたが、この書の発見以後『増鏡』の記述に根拠がある事が確認された。
[編集] 関連事項
[編集] 関連図書
[編集] 原文・校注
- 『とはずがたり』(新潮日本古典集成)後深草院二条 1978 新潮社
- 『とはずがたり〈上〉・〈下〉』 講談社学術文庫 1987 次田 香澄(全訳注)
[編集] 小説
- 『新とはずがたり』 講談社文庫 1993 杉本苑子 ISBN 4-06-185488-7