VM-T アトラント (航空機)
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VM-Tアトラント(ロシア語:ВМ-Т Атлантヴェーエーム・テー・アトラーント)はソ連のミャスィーシチェフ設計局において作成されたM-4戦略爆撃機の機体構造を利用して作成された規格外貨物輸送機である。なお、この機体には冷戦期の東側航空機としては異例で、北大西洋条約機構(NATO)によるNATOコードネームが存在しない。初飛行は1982年1月である。3M-T(3М-Тトリー・エーム・テー)とも呼ばれた。
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[編集] 概要
1970年代末よりスタートしたブラーン宇宙往還機・エネルギアロケット開発に伴い、この巨大な両物体を工場からバイコヌール宇宙基地まで輸送する必要に迫られたソ連では、アントノフ設計局とミャスィーシチェフ設計局の両設計局に規格外大型貨物を輸送する為の新型輸送機の開発を命じた。これにともなって登場したのが、爆撃機M-4を改修したVM-Tアトラントと、輸送機An-124ルスラーンから開発されたAn-225ムリーヤである。
M-4の背面に、大型貨物を載せる構造となっている。垂直尾翼は位置が変更され、水平尾翼の両端に双垂直尾翼として取り付けられている。
登場と同時にその明らかに異質なスタイルには西側のみならず国内からも疑問の声があがった。すなわち「本当に飛行できるのか?」という類のものである。実際に飛行は可能なのだが、自分の機体の断面積を一回り以上上回る構造物を機体上面に固定して飛び上がるその姿は通常の航空機の常識を明らかに無視した異質な光景であるといえよう。
実際、見るからに無理のあるその形状どおり、操縦性能は劣悪を極めたといわれており、パイロットにとってこの機体を制御するのは困難だったといわれている。このような無茶が発生した原因には説が多数あり、主なものは期日絶対主義であった当時のソ連の硬直した官僚体制が原因であるという説と、まだ未完成状態にあり、計画100 %値の重量にはなっていないブラーン、エネルギアならば、新規開発ではない機体でも輸送は可能であると判断されたから、という説がある。
1989年にはもう一方の候補であったAn-225ムリーヤが完成し、こちらの機の方がペイロード能力も操縦性も圧倒的に高かったため、本来の任務はAn-225ムリーヤが引き受けるようになった。
当初は引退したと言われていたVM-Tアトラントであるが、現在は初期の頃のものと比較して小型のカプセルを搭載して輸送業務を行っており、現在でも現役にあると推測されている。事実、2005年の航空ショーに登場した。
[編集] スペック
- 全長 51.2 m
- 全幅 53.6 m
- 全高 10.6 m
- 機体重量 75,740 kg
- 最大離陸重量 192,000 kg
- エンジン VD-7MDターボジェット4基 (※RD-3M-500とも)
- 最大速度 500 km/h
[編集] 運用国
[編集] 関連項目
ソ連のロケット・シャトル輸送機