NEO女子プロレス
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NEO女子プロレス(ねお じょしぷろれす)は日本の女子プロレス団体。通称NEO。
1997年、全日本女子プロレスからの選手大量離脱の際に井上京子を中心とした女子プロレスラー9人によって、前身であるネオ・レディースが立ち上げられる。しかし経営不振で2年後の1999年にネオ・レディースは解散、その後新団体NEO女子プロレスが設立された。
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[編集] 概要
[編集] ネオ・レディース時代
元々、井上京子を中心に新団体を旗揚げする考えはあったが、準備期間中にスポーツ新聞紙にスッパ抜かれ、又、同じく全女から分かれたアルシオンの旗揚げのニュースもあり、対抗として見切り発車的に旗揚げする事になる。
前身であるネオ・レディースは『新日本女子プロレス』と名乗る予定だったが、新日本プロレスからのクレームによりネオ・レディースと名乗る事になる(ただし、会社で作っていた封筒等に記載してあった団体名は、新日本女子プロレスだった)。
その様な理由での旗揚げではあったが、保険会社との提携や渋谷区に道場兼興行を行う会場を作る等の準備を行い(自分達の興行が無い時に他団体へ会場を貸し出し、その使用費を団体運営に当てるつもりでいた)、旗揚げに漕ぎ着けるが、当初使用する予定だった渋谷の会場が、地元の反対や建築基準法に抵触する事が判明し、1度だけファンを集めてのイベントで使用したのみで、閉鎖する事になる。
その後、観客動員数の少なさから、井上京子がリング上でフロント陣を批判するなど、選手とスタッフの間で感情的なしこりを作ってしまう。
[編集] NEO女子プロレス時代
その後、経営不振からオーナーを始めとする殆どのスタッフが離脱し(当時のオーナーは起死回生の手段として、大会場での興行を行う考えがあったが、地道な興行で手堅く維持を図ろうとする現社長の甲田哲也との間で意見の相違があったとされている)解散となり、残されたスタッフと選手達でNEO女子プロレスとしてスタートする事となる。
NEOになってからは、基本的には大会場での興行は行わず、板橋産文ホール(現・板橋グリーンホール)のような小規模の会場をメイン会場とした。そして後楽園ホールやディファ有明のような中規模の会場をビックマッチとし、キャラクターレスラーを登場させた30人時間差バトルロイヤル等の企画で差別化を図っている。又、地方興行もあまり行わず(行ったとしても、地元のプロモーターへの売り興行が主)、大都市でのマニア層を中心に手堅く興行を行っている。
ネオ・レディース時代には経営難から選手の離脱もあったが、現在は大きな選手の動きも無く、その為、その堅実な経営から『世界一平和な団体』と称されている。それなりの規模を持つ団体でありながらNEO設立以来道場を持てなかったことを揶揄する声もあったが、2005年12月に念願の道場が完成。それまでままならなかった新人の発掘・育成も開始した。
社長(時には音響担当他スタッフに降格したりする)の甲田氏が巻き起こすレスラーやリングアナなどとの抗争は、団体の一つの名物となっている。
[編集] 所属選手
[編集] かつて所属した選手(ネオ・レディースを含む)
- 下田美馬
- チャパリータASARI(引退)
- 仲村由佳(引退)
- 千春(引退試合の1日のみ所属、現在はリングアナ)